死の準備教育
2019/04/21
東北関東大震災の多くの悲しい情報が、次から次と老人から幼い子供まで流れてくる。
長男とテレビを観ている時に、ニュージーランドの安否不明の学生、全員死亡確認と流れる。
僕はテレビを観ながら、息子に『死』について話した。「死が怖い?」「うん」「パパも怖いな。わからないからね」
でも、パパは死は何もかも終わりだと思っていない。それは、だれもわからないことだけど、そんな気がする。だから、大好きだったお爺ちゃんにも会えると思うし、パパのママたちにも会えると信じている。
インディアンの人々は死と生とは切り離してはいけないと言っていた。そして、死ぬ瞬間に人間性は完成すると彼らから教わった。
だから、お前にもいい機会だからパパの考えを話しておくね。
もし、お前がこのニュージーランドの英会話学校に通っていて、この震災に巻き込まれたら、もちろん、望んではいないけど、もし、もし、巻き込まれたら、最後の最期まで生きることをあきらめないで欲しい。でも、いよいよダメかなぁと思って死を確信しても、お前は周囲に友達がいれば「大丈夫だから!」と元気づけて欲しい。
それがたとえ、反対にパパが亡くなることがあっても、きっと、パパは最期まで笑って、やれることをしただろうと思って欲しいんだ。「思えそう?」「うん」と息子。
きっと、逆になっても、お前ならそうしてくれていたとパパも信じるようにする。
亡くなられた学生さんの遺族が花を手向けている姿がテレビに映る••••
お前と、こういう話ができてよかった。
そして、パパは信じている。いつかどこかで、愛する人と、また会えると思っている。それは、パパがそう思っているだけだけどね•••••「ぼくもそう思おう!」と息子••••どんな集団にも帰属しない二人だけの宗教。
なんだか、安堵感が二人を包んだような気がした。
誰もが、いつかは死ぬ。でも、死は忌み嫌う者だと文明は考えている。
でも、死の準備ができて、生きることへの信頼関係ができると僕は信じている。準備ができたら、悲しい現実をかたわらに置いて、人は今日の今できることにまい進するしかないと••••
「たとえ世界が明日終わりであっても、今日、私はリンゴの樹を植える」
そう、僕たちは未来を信じて、今日をしっかり生き抜くしかないのだと••••
追記:大阪研究15期 松本賢一 君
がTVの「とくダネ!」に今日出るようです。ボランティアの心得を語っています。
http://ameblo.jp/matsumotokenichi/entry-10831387321.html#main