本当のクールジャパン!
2019/04/21
対立する個人感情。
お互いに相手と感情がぶつかった時に、どうしても自分は間違っていないというスタンスに立ってしまいます。
その時に心理学の世界では、エンプティ・チェアーという技術を使います。
自分の気持ちを白紙にして、椅子を向かい合わせにして、相手の空席に座って、相手の置かれた立場や、生い立ち、相手から現実がどう見えるのか?を考えてみるのです。すると「負かしてやろう!」から「気持ちは分からなくはない」という心が生まれます。
慰安婦像で日韓関係が悪化しています。日本は一昨年の日韓合意において、慰安婦問題は『最終的かつ不可逆的解決を目指す』を確認して、それに10億も払ったのに、どうして慰安婦像が釜山の日本領事館の前に立ったのか💢となります。
でも、この考えに韓国人は納得できないのです。「お金を払えば問題は解決したでしょ!」という日本政府の見解に憤りを感じているのです。当然のごとく1日に40名近くの男性の相手をさせられて、それを自主的にしたのだと断定されていることに納得できない人がいるのです。
なぜなら、過去慰安婦だった人の4分1は、その費用を受け取ってはいないからです。もちろん、受け取った人は戦後70年たって「もうこだわりたくない」と思って受け取った人もいるのでしょう。その受け取った人に日本人は「やっぱり金なんだ!」と言ってしまう姿勢は、僕は「人としてどうなのか?」と思ってしまいます。
受け取らなかった人たちが求めているのは日本政府からの謝罪だったのです。その日韓合意の時に「これから日本と韓国の関係は良くなると思いますか?」という質問に対して、韓国の半数以上の国民が「YES」と答えました。
しかし、その後に安倍首相は記者からの質問に対して「その出来事に日本政府は謝罪をする気持ちは“毛頭”ない」と言ってしまったのです。これに対して「日本と韓国の関係は良好になる」と答えた人は10数%に下がってしまいました。
「戦時中に拉致があったか、自主的だったかは別にして、性的に強制的に男性の相手をさせられた人がいたのなら、それは悲しい出来事だと思います」と安倍首相は言うべきだったのです。
ここに叩かれないドイツと世界から誤解される日本の違いがあります。
ドイツでは、ユダヤ人を大量虐殺した施設のアウシュビッツを自国の費用で残し、虐殺されたユダヤ人の慰霊式典のたびに哀悼と反省の声明文を出しています。そして、ドイツの学校では「人は自分が正しいと信じ込むと、これほどの殺戮(さつりく)をしても人は正しいと思ってしまいます。だから、戦争は狂気なのです」と教科書で教え、平和教育で自分たちが正当性を持って戦った戦争であっても「人を傷つけた事実は一生涯、癒えるものではない」と、その教育を徹底しています。
それに対して日本は、慰安婦は「20万人はでっち上げだ!」とか「強制ではない。」「公募で集まったのだ!」と反論をくり返しています。
ここで「自分たちが正しい」から離れて、白紙になって考える練習が必要になります。
あの慰安婦像を製作した作家は、韓国がベトナム戦争の時に、ベトナムの農村部で行なった非道な振る舞いに対しても、ベトナム戦後50年という節目に謝罪と反省も込めて韓国政府も一緒になって「ベトナムピエタ像」を贈っています。それは韓国のやった非道さを象徴するモニュメントです。「日本に謝罪を申し入れるならば、韓国が行なった非道な振る舞いを自ら反省すべきである」と…
この報道に、韓国のネットユーザーは「ベトナムピエタ像」に非常に多くのコメントを寄せました。
「韓国が日本と違うことを示すためにも、韓国は積極的に謝罪をすべきだ」
「まず先に謝らないと恥ずかしいよ」
「自分たちも過ちについて謝罪するのが正しい。韓国軍による虐殺は恥ずかしい歴史だ」
「教科書にも載せて。このままでは歴史を捏造(ねつぞう)する日本と変わらない」
「ベトナムの人たちに慰めの心を伝えよう」
「人々が苦しむことのない世の中、戦争のない世界、これ以上、無念の死がない世界になることを願う」
「韓国にとって慰安婦が拭い難い痛みであるように、ベトナム戦争で暴行被害に遭った女性たちの痛みも忘れてはならない」
「良識ある国家こそ誇れる国家だ。日本に要求するのと同じように、ベトナムに謝罪しよう」
「事実をありのままに認め謝罪すべきだ。自分が被害者だからといって、それで済まされるわけじゃない」
「もっと早くやるべきだった」
と多くの若者がネットで寄せいています。
「慰安婦像は気にくわない!💢」と叫ぶ前に、違う角度から白紙にして物事を見る必要があるのが紛争回避です。
今、世界は自国の利益や怒りが蔓延している国際情勢で、その流れに流されないで物事を受け止めたいと心理カウンセラーとして思っています。
このようなブログで、自分の思いを載せることは、批判の矢面に立つかもしれません。「もしかして、衛藤先生は在日韓国人ではないのか?」とか「じゃ、日本から出て行けばいいじゃないか!💢」と思われるかもしれません。
僕はまぎれもなく日本で育ち、純血な日本人です。だからこそ日本が心から好きです。前にもブログで書きましたが、戦時中にアメリカの大統領が死去した時に、軍の宿舎で歓声がわいた時「たとえ敵であっても、人が病気で亡くなって喜ぶとはなにごとか!亡くなった人の愛した家族のことを思い静かに黙祷するのが侍魂だ!」と言った日本軍人が存在したことに、誇りを感じる日本人です。
今、朴槿恵大統領が弾劾訴追決定された韓国政府自体も、日韓合意があるので日本領事館の前の、あの慰安婦像の設置には頭を痛めていると聴きました。あの慰安婦像を建てたのは民間団体です。韓国政府ではないのです。だから政府自体も、それを強制的に取り除くことはできないことにジレンマを抱えているのです。あれだけのデモで民衆の力を思い知ったからです。沖縄問題のように力ずくで押し切ろうとする日本政府と違って、今の韓国のほうが民衆の力を感じてしまうのです。
さらに、慰安婦像は韓国内に37体あると言われています。今後、日本と韓国の関係が冷え込めば、さらに設置する民間団体がますます増えるでしょう。
僕はどうすれば日本がカッコ イイ国になるかを考えてしまいます。それが外交政策の基本だと思います。安倍首相がマリオの着ぐるみを着るよりも大切なことは何かです。
日本が戦争の愚かさの象徴として、ドイツと同じように、そして、韓国がベトナムにピエタ像を贈ったように、日本からも慰安婦像を贈ればいいのです。そのほうが「慰安婦の人数が違っている!」「強制ではない!」「金目当てだ!」と批判ばかりをくり返す日本のイメージよりも、日本が世界にステキに映るのではないでしょうか。
そして、忘れてはいけないのは、日本にも慰安婦がいたと言うことです。それも、含めて慰安婦像を戦争の愚かさの象徴とすべきなのかもしれません。
(参考文献) 美輪明宏氏談
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/peace-i.html