本当に強い人!
2019/04/21
その時に、二通りに別れます。
一般的には「子供のことでお世話になっています。子供はどうでしょうか?」と子供のことを一番に気になさる父親と。
もう一つは、自分のことをトウトウと語られる父親です。もちろん、これは父親に限らず、母親にもあるのですが…
自分が◯◯病院で勤める医師であるとか、従業員を何人も使っている経営者なのだとか、精神科の知り合いがたくさんいる…◯◯先生やら◯◯先生とかと名前を上げられる。
彼らにとって、自分がどういう立場の人かを、先ずは分かってもらわないと、話が前に進めない。
カウンセラーの僕にとっては、子供に向き合いたい時間なのに、この様に、自分のステイタスを語る親御さんは子供のコトよりも、自分の不安を解消しようとする。
だから、子供の心がトラブってしまうのです‼
ある経営者は、喫茶店に入店する際には、部下が先に入って「スゴい立場の社長さんが来られるから、よろしくお願いします」と部下に根回しをしてもらわないと喫茶店でコーヒーの一杯も飲めない人がいます。そう、普通の一般客扱いには耐えられない。
いつも特別な待遇や接待を受けないと弱い心が落ち着かない。
だから、特別な地位や権力に憧れ、その立場が手に入ると、もうそれを手放せなくなる。
ニーチェは、それを「権力(力)への意志」と呼び、人は誰もが他人を従わせたい欲求があると…不安だから…
僕自身も、自分を知ってもらえている人や場所だと「ホッ」とします。
新しい場所や人々だと、少しばかり緊張もします。これが本音です…
なぜなら、知り合い集団だと、どのような立ち居振る舞いを周囲が、僕に望んでいるかが、僕自身が分かっているからです。
むつかしく心理学的に言うなら、アイデンティティ(自他同一性)が明確だから、その集団の中では心配はいらない。
でも、その安定した仲間集団や、見慣れた場所でないと、心が楽しめなくなると、それもまた、新たなチャレンジ精神を失うコトになります。
そんなことを考えはじめると、僕は僕自身のことを誰も知らない世界に身を投げ込んで、自分自身の本当の力を確認したくなる…ゆえにネイティブ・アメリカンの地に向かう荒業の旅に出る。
僕は本当の強さは、特別扱いされなくても、どこでも平常心でいられるかが強さだと思っています。それを心から身につけたいとも…
どんな所でも楽しめ、どんな人とも仲良くできる人。
そうなのです、普通のお客さんのような待遇でも、気分を害さないでコーヒー、一杯の味を楽しめる経営者が真の強さなのです。
どこでも、いつも笑っている人を見ていると、この人は強い人だなぁと思います。
「弱い犬ほどよく吠える」に例えられるように、いつも眉間にシワを寄せて「俺を怒らすなァ」と、威嚇している権力者は、心理的に言うと「自分がバカにされてはいないか」「自分を軽く見られてやいないか」と不安なのです。
いつも怒鳴っている学校の先生は、いつも子供から「なめられないか、バカにされないか」と不安なのです。だから、威圧的にふるまう。
本当に子供に愛されている学校の先生は権力を使わないでも、子供たちは確実に良い影響を受けています。
ですから、成功セミナーで「成功者になるぞ!」とか、「一攫千金を狙うゾ~」と言っている人達は、そのような権力の上にのぼらないと「自分は特別扱いを受けられないのではないか」「バカにされるのではないか」と不安感でいっぱいなのです。
そのような恐怖が、人々をあくなき権力への憧れを抱かせてしまうのです。
ですから、何もバックボーンが無くても、あなたと一緒にいたいと思えるような笑顔と、気さくな会話ができる人を目指したいですね。
それが権力に守られた強さでは無く、真の、その人らしさが持つ本物の強さなのです。
本物は権力や地位の獲得のために、あくせくしなくても、その人にある器の大きさが、人を惹きつけ、人から尊敬を集め、その結果として、地位や収入が上がることもあるかもしれない。
でも、本物は、それが無くても楽しめるから笑って、それらを手放せる。
「空っぽ」を楽しめることが悟りの第一歩なのです。
ゲシュタルト心理の未完を楽しめるとはこのことです。
あなたは特別な扱いをされないと不愉快になりますか?
それとも笑って過ごせますか?