悲しみと喜びの過ごし方。
2019/04/21
今日は雨です。
朝の天気予報で「雨を皆さんはどう感じますか?」という問いかけがありました。
傘などの荷物が重くなる。
花粉が雨で流されて嬉しい。
洗濯物が乾かないから嫌だ。
緑がキレイに感じて幸せ。
最後までテレビの集計の結果を見ないで出かけたので、どの意見が多かったのかはわかりませんが。
「雨」という現象を見ても、田んぼに水がたまると言う人もいれば、新しく買った傘をお披露目できると思う人もいるし、今日はデートなのに~髪型がまとまらないからヤダ~と思う人もいるのかもしれません。
人は同じ職場で働いてもノイローゼになる人もいれば、同じ職場内で楽しんで仕事をする人もいます。
失恋の悲しみも人それぞれです。別れは新しい出会いの始まりと思う人もいれば「もう、これで人生が終わった~」と死にたくなる人もいるのかもしれません。
人はそれぞれの出来事を「どのように解釈するか」によって人生は大きく違ってきます。
それがわかっていながら、人は精神が疲れている時には、最悪の解釈をしてしまいます。なかなか、楽しく最良の解釈にならない。すると、気分はウツ的な状態になります。
そうして笑っていない人には、周囲は寄り付かないし、周囲にも気を遣わせる結果になります。
そうなると「自分は誰からも愛されない。自分なんか生きていても価値がない」とさらに気分は急降下で落ち始め、うつ病を発症する人もいます。
「災い転じて福となす」波と同じで、悲しみの谷が大きいほど、次に来るピークは大きいと「イーグルに訊け」の僕と共著者の天外 伺朗さんは言う。
皆さんは太極図を知っていますか?
この勾玉(まがたま)を2つ重ねたような図です。
一方の闇の世界が大きくなると、一方の光の世界がスタートし、光の世界が大きくなると、陰の世界がスタートするという図だそうです。
最近、ヨガを教えている元受講生の女性に、僕も聞いた話なのです。
その話を聴いてスゴく僕のインスピレーションが刺激されました。
そう、完全な悲しみの世界はなくて、悲しみの中(勾玉の陰中央)には、黒に染まらない白(光の世界)の小さなサークルが存在します。悲しみの中にも喜びの種が存在するのです。
もちろん、明るく白の世界の日常(電力を好きに消費していた数ヶ月前)にも、危険な闇の小さなサークル(福島の原子力発電所の建物)は存在していました。
だから、うまくいっている時には「勝って兜の緒を締めよ」で油断は禁物だったのです。
この図からすると、幸せを求め過ぎると、すぐに幸せは先細り、不幸が早く近づきます。ただし、不幸がピークの時は、しっかり悲しみを味わうと幸せの夜明けはスタートすることにもなります。
そう書くと「でも、幸せであっても不幸はすぐに来るんでしょ」とすぐにマイナスな解釈をする人は、幸せをゆっくり味あわないで、もう闇の世界(悲しみ、別れ、病い、戦、貧困)を意識し始めています。
だから、あくせくとお金を稼ごうとしたり、別れないように相手をしばったり、一生懸命に病気の本を読んだり、戦いに備えて軍備を急いだりして、光の世界の陽にいるのに、陰の世界を考えて策略を練ります。幸せの最大値に立ちながら、遠くの不幸の入り口を意識して「陰」を見つめているのですから、さらに不幸です。
そして、楽しい時間(陽)を、すぐに不安と心配で使い果たします。だから、悲しみの世界がすぐにスタートして目の前に現れるのです。
ステキな人は「陰」にいながら、逆にステキな未来(陽)のスタートを意識します。悲しみの中で、なぜ自分は今回の悲しみを早く導いたのかを反省すれば、自分の成長に(小さな陽の円)つながります。
悲しみの中で、自分の可能性や未来を見ないで暗い闇の世界ばかりに気持ちを集中すると、いつまでたっても悲しみから抜け出せないで、夢の世界「陽」がスタートしないのです。
大切なことは、何げなく平凡で、あたりまえの幸せの日々を、ゆっくり、ゆっくりと味わうことなのです。
悲しみの極致では、人を恨んでしまいがちです。そして、他人に嫉妬し、自分の幸せの維持のためにあれこれと策を練ってしまいます。それでは、自分のマイナス(陰)を見つめることではできないでしょう。
反対に、自分の問題点を反省し、前向きにスタートできれば、すぐにプラスの自分が動き始めます。そして、何げなく見過ごしていた、幸せの一分一秒を噛み締めて生きるのです。
そして、悲しみの時がくるのです。それは誰にもわからないのです•••••
なぜなら、人には誰にも死は訪れます。でも、死の暗闇「陰」の中にも、未知の小さな光の可能性「白のサークル」は広がっているのかもしれません。
どちらにしても、「陰」極まれば「陽」となすのように、悲しみの後には必ず春が訪れます。
だから、メンタル東京校出身のひすいこたろう君の「♫ピンチ、ピンチ チャンス、♪チャンス♪、らん、らんらん」になるのです。
ほらそこに、君の悲しみの先に、幸せのシッポが見えているから•••••