怒る前にやってもらいたいこと…
怒りは自分で作るものだとアルバート・エリスに学んだ。
周囲に注目するのではなく、心理学は「自分の中にある心」に注意をすべきであるとも…
誰かから何かイヤなことを言われた。周囲のことを恨んだり怒ったりする前にやってもらいたいことがある。それは、「自分の心の中で、今ここで、何が起こっているのかに注目」することです。言葉は記号の集合体でしかない。
①「そんなことを私は言われたくない」
②「そんなことを私が言われる“ベキ”でない…この“私”が」
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①a「残念ながら、人は色んな人がいるからなぁ」
②a「バカにされたら戦う“ベキ”である。なめられる“ベキ”でない」
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①b「嫌なことを言う人だなぁ。イライラしたらコルチゾール(不快ホルモン)を作って老けるのに…」
②b「もう二度とひどい言葉を言わせないようにする“ベキ”だ。そのためにも、怖い顔をして、逆にひどい言葉を言い返してやる“ベキ”だ💢」
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①c「さぁ、こんなくだらないことに時間を割かないで仕事に集中しよう」
怒りから離れる…
②c「もし、それでもひどい言葉が続くなら、私のプライドは絶対に耐えられない」
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①d「…」
②d「もう辞めるしか手がない。また、相手が仲間を作って自分を攻撃してくるかもしれない。それで自分が仕事を辞めると…今後の生活は…」
このように相手の言動に時間を費やすことが増え、怒りは燃え上がるのです。
これらの①と②の心の反応の違い(心のクセ=ビリーフ)で、人生を「怒り」という魔物に囚われて苦しむ時間が大いに変わるのです。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になったという人は、ひどいことを言われて傷ついたと話す。でも、それは「自分だけは傷つけられるべきではない」と自分に対しての過度なプライドが影響しているのではないかと思うことがあります。
さて人生を平和に楽しんでいる人には過去に「傷つけられる事実」はなかったのか?それは現実的に存在しない。誰にも不幸はある。
その違いは心の柔軟性の違いだということです。僕自身も自分だけに特別に良いことが起こることがないと現実的に人生をとらえています。もちろん、自分だけ不幸だとも思ってはいません。
ただ、心理学が教えるのは「怒り」は周囲から与えられるものではなく、自分で増幅装置を心に持っている人と、減少装置を持っているだけの違いです。装置の違いで人生は大きく違ってくるのですね。
あなたの人生は特別でないと人生は楽しめないですか?
その特別なプライドは「自分は最悪の中では生きられない」という弱さの現れではないですか?本当の強さは最悪の中でも輝き続けることなのだと思っています。もちろん、それは大変なことではあるのですが…
=聖パウロの言葉=
「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのトゲが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使いなのである…
わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである…」
⚠︎(PTSDは災害や事故でも起こります。今回は〈言葉のPTSD〉についてです)
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心理カウンセラー衛藤信之
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