幼児性の強い大人たち PARTⅡ
2019/04/21
悲しいことに昨日の、ブログで書いたような事件が、また、起こった••••
「人生に疲れたから、自分の人生を終わらせたいと思った。一人では淋しいので、誰かを道連れにしたかった」
僕は、ただただ閉口•••••

科学技術は、便利さを追及する。それは、欲求不満を社会からなくす作業なのです。昔は、夜はお店は閉まっていました。ノドが渇こうが、我慢を要求された。
今は、コンビニがあり、自販機がある。冬も暖かく、夏は涼しくの快適欲求はボタン一つで解消できる。
かつて夏は、打ち水、風鈴と各自が知恵と努力で暑さを解決しようとしました。
冬は、十二ひとえや、赤色をふんだんに使ったもので、温もりを演出しようとした。それらが、日本の深い文化を育てた。その文化は、身体を温める食べ物、冷やす食べ物と、食文化までもを進化させた。
茶室の求めた、快適を追及した千利休の精神はONとOFFのスイッチで、完全におぎなえるのです。
現代は携帯電話があるため、恋人に電話をするのにも、恐いお父さんの関所を通らなくてもいい。
子供部屋には冷暖房があり、面倒な世代間の違う人々と過ごさなくても、自分の暖かい部屋で、携帯電話でタメ口で話せる友だちと話せばいいのです。
会社では、目上の先輩に敬語で話せない若い世代が増えています。
便利さは、人間関係も簡略化を求める人々を増やしています。
欲しいから盗んだ。
気にいらないから殺した。
育てられないから、子供を棄てた。
面白く無いから別れた。
現代の社会の問題は、メンタル・トレランス(耐性)のレベルが低くなっていることなのです。
なるべくムリをしないで、長生きする社会です。楽して成功を求める社会です。
「最小の努力で、最大の収益を!」が、広告に踊ります。
本当に、楽して得たものの先に感動があるのだろうか••••
学生の頃に、苦しいバイトの先に、やっと買った革ジャンが、今でも捨てられないのは、なぜ?
続く••••