幼児性からの分離
大人になるとは、過去の人間関係を卒業(分離)し、新たな関係を再構築することです。
最初は母のお腹から分離し、家族と出会い、やがて家族からも分離し、クラスの友人と出会います。やがて学校の友とも離れ、目的を共有できる仲間集団(職場、趣味仲間)と出会ったり、または新たな家族を作り、再構築を繰り返し人間は生きています。

最初の親との分離に不安がある子どもは、分離がスムーズにできず、幼稚園にもなじめません。やがて小学校に入ると、親からの距離が遠くなります。中・高・大に進んでも同じで、分離と再構築を繰り返します。
やがて社会人になったときには、親や学校の与えられた人間関係ではなく、自分として新たな人間関係を勝ち取らなければなりません。
これは心理的な成長も同じです。大人になっても幼い子どもが母に期待する感覚で、奥さんにも過度な受容の愛を期待する人がいます。ですから、奥さんからすると、夫はただの「大きな子ども」のようで、心理的に頼りになる対象にはならないのです。

ただ、「夫に永遠に与え続けるだけでよい(give)」と思う妻であるならば〈大きな子ども〉と〈母〉との関係として夫婦関係は持続します。
逆に無償の愛を受け取る時期に、与えてもらえなかった子どもは、大人になると親しくなった瞬間に、むさぼるように一方的に完璧な愛情を求めます。
でも相手は普通にギブ(与えて)&テイク(受け取る)の人だから、テイク(取る)&テイク(搾取)の愛に呆れて去って行きます。
大人になるには、テイク(取る)& テイク(取る)から、ギブ(与えて) & テイク(受け取る)に移行するのです。

また、親は幼い子どもを育てるときには、ギブ(与えて)& ギブ(与える)が中心となります。それができないと虐待につながります。
しかし、両親が永遠に、ギブ& ギブを与え過ぎて、成長過程で ギブ& テイク を学ばなかった人は、社会人になって、先輩の指導やサポートに対して「してもらって当然」のテイク&テイクの態度で、先輩にお礼も感謝も伝えないから「礼儀も知らないヤツ💢」と嫌われてしまいます。
親から目に入れても痛くないくらいに愛された人間が、会社ではハブられるケースは学習不足です。
ある男性は、それほど親しくない女性の友だちの家に仲間と招待され、家に上がるなり靴下を脱いで女性のベッドの上にポンと座った男性がいました。
理由は靴下を履いているとリラックスできないらしい。そして、この男性の第一声が「喉が渇いたなぁ…ビールある!」と女性に言いました。

彼は幼い頃から、人の家に出かけても靴下を脱いでも注意されなかったのでしょうか?
幼い時から「喉が渇いた!」と言えば、他人の家でも親が「すいません。子どもが喉が渇いたと言いますので、何か飲み物ありますか?」と、子どもに注意するシーンで、親戚の家でも親が「ギブ」を要求したのかもしれません。
親は世話をやりたくてした。しかし、社会の一般の人間関係は「おべっか」の一つ、それほど世話になっていなくても「お世話になっています」の一つも「儀礼」として伝えなくてはならないのが大人の社会なのです。
人が成長する過程でナルシシズム(自己愛・幼児性)から分離し、大人として頭を打ちながら再構築していくものです。

すべての教育・指導の現場で、優しさが中心の社会(厳しさの排除)になると、立派な大人は育つのだろうか…?
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心理カウンセラー衛藤信之
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