幸せ隠れんぼ

      2019/04/21

 先日、食事会で話しをしていた時に「幸せって何処にあるの?」って質問されて、僕は食事会のテーブルを指して「ココ」と答えた。


 江戸時代からすると「今、この瞬間」は、憧れの世界。一日三食の食事にありつけるのは、家康クラスの天下人だけの特権だった。いや、世界の珍味に舌鼓を打てることを考えたら、天下人の家康の上をいきます。

 まして、夜の講座後の食事会ですから22時近くになります。その時間に電灯が煌々と照らし出されているテーブルの明るさと同等にするには、女中さんにどれだけの行燈(あんどん)を用意させなければいけないかを考えるとスゴい数になります。


 結婚も、たとえ愛し合っていても、身分が違いで結婚できず。旅行に行くにも通行手形を発行してもらわないといけない。なぜなら、関所破りは江戸時代には重罪でした。仕事も親の仕事を存続させないといけないので「仕事選びはスマホで!」なんてあり得ない時代です。連絡を取りたくてもふみ(手紙)のやり取りで時間がかかる。人相書きの時代に、スマホで写真なんて江戸時代からすればSFの世界です。


 そんな中に、どっぷり浸って生きていても、僕たちは、不幸感がぬぐえない。うつ病や自殺者の比率は江戸時代よりもはるかに多い。


 「こうなったら幸せ」「こんな状態だったら最高!」は実は錯覚で、どんな時代でも幸せは、当たり前ではない日常を噛みしめる能力なのです。


 山の彼方の空遠く「幸い」住むと人は言う…カール・ブッセ


 あなたの、身近のその側に「幸い」住むと僕は言う…カウンセラーEtoh


 僕は自分の足下の「今、ここ」に、幸せはたくさんあって、僕たちはそこの身近に落ちている「幸せ」を見ようとはしないで、遠くばかりの幸せを見ている。

 子どもの笑顔、愛する人の瞳の輝き、学生たちの柔らかな語らい、道路の片隅に咲く小さな花、雲間から落ちてくる陽の光、もう二度と出逢わない風に…


 幸せはいつもささやいている、 僕たちは、ここにいるよ…









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