小さなコップで楽しめる。
2019/04/21
よく言われることですが、自分の心のコップが満たされていなくては、他人のために愛を注ぎたいという余裕は生まれない。
でも、どんな状態になれば、人は幸せのコップが満たされるのか?
人によって幸せの満足度は違う。自分が幸せだと思えない限り、心のコップは満たされたことにならない。
現代、日本は危機的な状況だという。
たしかに戦後の復興期からバブル時代を基準に考えるならば、今の日本は危機的な状況なのかもしれません。
でも、それは右肩上がりの生活を基準に考えるならばです。
本当により高みの社会が、すべてなのでしょうか。
では、どこまで登れば満足できるのでしょう。日本は本当に危機なのでしょうか?
どうなんだろう•••••
一日三回食事がお腹いっぱい食べられるのは、ボスニア難民から見れば楽園ニッポンに映るだろう。
身分の違いがシッカリあった江戸時代に比較すれば、誰とでも出逢えて結婚できるのは夢の世界に違いありません。
毎週、僕は飛行機や新幹線に乗り東京に移動するのだけれど、昔は東海道中膝栗毛で弥次さん喜多さんが旅をした時代に比べたら瞬間移動に近い早さです。あの時代は、大阪から江戸は長い道中だったでしょう。
でも、その裕福さ便利さが普通になった人々にとってその幸せを実感することは難しいのではないでしょうか。
僕たちは貧しい国やある時代から比べると、現代の日本は楽園のような時代に生きているのです。
ただ、それを多くの人々が実感できればの話になりますが。
これからの生き方は「幸せを感じる能力」の開発にあるのです。
メンタルの心理学の教室の目標もそこにあるのです。
敏感肌を女性は気にします。でも、幸せに敏感な人は、人生の宝物を知っています。
「あの奥さん、おめでたいわね。あんなことで喜べるかね••••」と、噂を言っている人よりも、少しのことに幸せを感じる心が敏感な人のほうが、あれこれグチを言っている人よりも絶対に幸せだと思うのです。
ブランドのカバンをプレゼントされても高級なアクセサリーを手に入れても満たされない人々よりも、子供が学校の帰りにあった数々の出来事に、耳を傾け、その子供のお土産話に幸せを感じる人のほうが絶対に幸せの感受能力が高いのです。
最新のファミコンゲームに、すぐに飽きてしまう日本の子供達よりも、自然の中で木で作ったブランコの周りに集まる貧民の国の子供達のほうが幸せを感じる能力は上なのです。
コップがいっぱいに満たされることよりも、小さなコップで、すぐに量が満ちあふれ、心が満たされる能力が今の時代は必要なのです。
なぜなら、これからの時代は登り道よりも下り道になるかもしれません。
これからの子供達の時代は、日本の経済動向から見ると、今の大人たちよりも将来は収入が下がる可能性があります。
その時代に、もっと上の学校、さらに高い収入、より豊かな生活と「もっと、もっと」の音頭で子供たちを教育すると、そうなれない時代の子供達はやがて「自分はダメだと」思い込み、うつ病や自殺者の数はさらなる増加を続けるでしょう。
さらなる上の世界にしか幸せがないと教えると「今、ここ」の中にある幸せを感じることができなくなる人々が増えてしまうからです。
限界のない大きなコップを満たすことが幸せではなく、小さなコップを満たす方法を教えることが大切です。
どんな状態の中でも、楽しめる子供達を育て、小さな刺激でも幸せを感じる心の豊かさを教えることが、これかの真なる教育なのでしょう。
五木寛之氏も、登り道よりも下り道のほうが、景色をゆっくり見えると言っていました。
そんな小さな幸せを感じる感受性を持ちたいものです。