失った世界を救おう!

   

 東京メトロの日比谷線で、日本語・英語・韓国語・ロシア語の四カ国の表示の中で、ロシア語だけが「不快だ」というクレームから、JR東日本は「調整中」という紙を貼ったそうです。ロシア人やロシア料理店への嫌がらせ、ロシア文化のイベントを削除されるという過剰反応が日本の各地で起こっています。

 パーソナリティ障害の中には、曖昧な状態に耐えることの不安から、完全なるものを求めて「善」か「悪」か「汚い」か「清い」かの二分割思考に陥る人がいます。 しかし、好きと嫌いとを単純化するのは、幼い幼児性の特徴です。

 たとえば僕の中にも「立派な」ところと「だらしない」ところがあります。人は完璧な存在でなく混ざり合った存在です。言ってみれば「まだらな存在」です。そのまだらな存在から一部を完全に取り除こうとするところにストレスが生じます。僕は自分が完璧ではないことをよく知っています。だから他人の不完全さにも寛容になれるのです。

 完璧を求める人は、自分の中にある「弱さ・未完成さ」に腹を立てて自分を嫌ってしまいます。またその病的な理想象を身近な家族にも求めようとするから、いつも怒りっぽく不機嫌になってしまいます。その結果、子どもや家族からも煙たがられる存在になってしまう。

 言っていることは立派なのに、人間理解の本質がズレているので柔軟性や開放性といった人間関係に大切な潤いを失ってしまいます。

 アメリカのパーソナル障害群の中に「強迫的パーソナル障害」があります。

 秩序が完全主義、あるいは対人関係の統制にとらわれて、柔軟性、開放性、効率性が犠牲になる。(アメリカ精神医学会DSM-5より)

 さて僕の講座のように話がそれましたが、僕が心配しているのは、今の日本人が「総パーソナリティ障害」の様相を呈しているのではないかということです。

 最初に書いたロシア語表示によるバッシングも、コロナ禍で起きた自粛警察もそう。それぞれの言い分を事情聴取すれば至極、当然。でも、自分の信念が強くなるとバランスを崩すのが正義…そこにある、それぞれの正義が戦争を引き起こす。

 ワクチン接種による対立も…接種した人は未接種者を意識が低いと責め、ワクチン未接種者は接種者を無知とさげすむ。今や多様性が叫ばれている現代にです。

 まさにパーソナリティ障害の「100 or 0」が、日本全国のあちらこちらに見てとれます。共通するのは失われていく柔軟性と解放性…
パーソナリティ障害の特徴は「キレやすさ!」も入ります。それぞれに正しいと信じているから感情的になってしまいます。

 今、日本に必要なのは「それぞれに信じている多様性を受け入れる柔軟性」です。「ゆとり思考」を持つことだと思っています。ゆとり思考とは、対立を引いて見る柔軟な姿勢です。もう「対立」はウクライナ問題で僕の心はマックスいっぱいです。

 また少し話はそれますが、ミハエル•エンデの「はてしない物語」を原作にして映画化された「ネバーエンディ・ストーリー」があります。
 夢の世界のファンタージェンが「無」の侵食で、今のウクライナのように破壊と崩壊の危機に呑み込まれてしまっていました。この物語は最後に夢の国(ファンタージェン)を救うことになったのは主人公の活躍ではなく、主人公のイマジネーションでした。 

 物語の最後に明かされる「ファンタージェン」を侵食していた「無」は、過去、子ども達だった大人が、夢や希望を描かなくなったことが原因だったのです。だから、優しい夢を、ステキなイマジネーションを持つことが夢の世界ファンタージェンを救うことになるという物語でした。だから、夢を大人たち描けなくなると、心のフアンタージェンが崩壊します。

 では何を僕たちは取り戻せば良いのでしょうか?

 奇しくも、ウクライナとロシアには民衆に語りつがれたストーリーに「てぶくろ」という民話に、そのヒントがあると思います。

 ある寒い日、森の中でおじいさんが手袋を片方落とします。最初はネズミが潜り込んで住み始めます。そのうちにカエルやウサギ、キツネが来て一緒に住み始めます。「ぼくもいれて」「わたしもいれて」僕は「もう入らないよ」と思いながらドキドキして物語を読んでいきます。そのうちにオオカミやイノシシ、クマまでも手袋の住人の仲間入りをして暮らしはじめます。ハシゴや窓をつけたり…興味があれば図書館で絵本を借りてみてください。

 僕たちは今こそ違いを受け入れて、子どものように純粋に、それぞれの違いを愛さないとならないのではないでしょうか?

 日本人とか、ロシア人とか、ウクライナやアメリカ、ドイツ、北朝鮮、中国…「何が違うのでしょうか?」僕に教えて下さい。僕は「まだら人間」だからわからない。

 僕にとって愛国心とか民族意識を強制的に教え込まれるなら歴史の授業などは必要がない。僕が教えて欲しかったのは歴史ではなく人の「心」という共通点です。

 歴史教育の刷り込みによって戦うくらいなら僕は歴史はいらない。僕が何を子ども達に教えたいのか。それは「愛」…ウサギのオオカミやクマが手袋の中では一緒に住めるのに、地球は手袋よりももっと大きいのに人々が住めないわけがない。

 現代の大人たちが失った世界は、手袋ではなくて、仲良くこの星で暮らす心なんだ…


▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
心理カウンセラー衛藤信之
公式LINEアカウントができました!

お友だち追加よろしくお願いします。
https://ws.formzu.net/sfgen/S66282504/
今なら4日間の集中講座プレゼント中
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲画像画像

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は image.png です

 - ブログ

>