大切な人の最後に会えなかった人に…

      2019/04/21

 大切な人の最後に会えなかったことを後悔し、それに苦しんでいた男性がいました。

 「どうしたら、後悔の苦しみから逃れられるのでしょうか?」講座の後の食事会でのエピソードだったので、カウンセリング的な時間も取れずに、申し訳ないと思いながら「もし君が亡くなったとして、誰かが君の最後を看取れなくて後悔して、苦しみを抱えて人生を生きていたら、君はその人になんて言ってあげたいかなぁ」と僕。

 その彼は「もう気にしないで、苦しまないでいいよ」と答えた。「じゃぁ、その亡くなった人も、そんな気になっているんじゃないかなぁ」と僕は告げた。

 このやり取りは、精神科医フランクルの事例から思いついたものです。

 ユダヤ人だったフランクルは、脱出のためのパスポートを取りながら、父が病弱でドイツから脱出できなかったので、アウシュビッツの捕虜収容所に収監されました。

 フランクルは、自分だけ助かるよりも、父親と収容所に入るほうが、自分の人生に意味があると判断したからです。

 そこでは地獄の日々が続きました。豆を一つか二つしかないスープだけで、一日中過酷な重労働で、骨と皮だけになって生き続ける。そして、一日何千というユダヤ人が、ガス室に送られ帰って来ないという絶望感。

 ある時に、愛する妻が亡くなって、生きる希望さえ失なった人に出会う。
 「そんなに痩せ衰えて苦しむほど、貴方は奥さんを愛していたのですね」と、フランクルがその男性にたずねた、さらにフランクルは「奥さんも、あなたを同じくらい愛していたのでしょうか?」とたずねる。

 男性は「もちろんです。僕たちは心から愛し合っていたのですから」と答えた。「では、もし貴方が先に死んで、奥さんが悲しみのために痩せ衰え、今のあなたのような悲しみを奥さんにも味合わせたいですか?」そこで男性はハッと気づいたのです。自分が苦しむ側でよかったと…

 そこで、このエピソードは終わりです。

 でも、僕は亡くなった奥さんは「ご主人にも、自分の死で苦しんで欲しくないだろうなぁ」と思ったことを、今でも鮮明に憶えています。

 この社会では、大切な人の死に目に会えない人が、大勢いるのかもしれません。
 「すぐに来て!」と言われても、立場があって、仕事があって、誰かに気をつかって、もちろん、交通機関が間にあわなくて、と誰もが、そのような後悔を抱えながら生きることを強いられるかもしれません。

 そうであるならば「自分が亡くなる時にも、たとえ誰かが来られなくても、相手の立場を考えてあげたい」と心に強く思って生きればいいのです。

 自分の出来なかった事を、人に求めて攻撃する人がいます。それは最低です。

 僕にはいいモデルがいます。

 僕の義理の父も、亡くなる時に「孫たちの、明日の学校を気にして、皆が帰ることを命じました」義理の父は、いつも家族の幸せだけを願った人でした。

 僕の祖母(僕の育ての母)は、僕が後ろ髪引かれる思いで祖母の家を出る時に「ノブちゃん」と、手招きして病床の枕もとで、消え入りそうな声で「あんたは忙しいけんね。もし、私が死んでも、帰って来んでイイけんね。頑張らんといかんよ(大分弁)」と耳もとで囁きました。「何言いよるんね。また、来るけんね」と僕。「お婆ちゃんは大丈夫…」と祖母の目は優しく笑った。それが、最後の二人の会話。

 僕の約束は果たされないまま、帰郷したのは、祖母のお葬式の時でした。

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 だから、僕も亡くなる時には、そういったモデルを見習いたいと思う。

 してあげれなかった事を後悔するよりも、してもらえなかった時に受け入れる強さを学んで欲しいと質問した彼に期待したい。









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