命のバトン…
2019/04/21
命は終わらない、形を変えて他の命を支えるだけだと…
そうなのです。
危機という字は「危ない」と「機会」のチャンスが次にくる。
悲しみを、どう、次の命につなげていくかが問題なのです。
2011年3月11日を最悪の日にするのか「あの日から日本が完全に目醒めて、生まれ変わったね」にするかは、生きている者の肩にかかっています。
死者は生きている者にバトンを渡したのだ…意味ある「生」を生きるようにと…
亡くなった命は千の風になり、誰かに知恵を授けるために、多くの人の心に今もなお吹いています。
そう…願いを込めて…その風たちの言葉を感じ、生かすことが、今を生きている人の使命なのです。
それが、生きることなのです。
生の命じることを生きる。
それが生命‼
今日あなたを生かすために、あなたの目に見えないところで、生き物が命を落としている。その命を、身体は取り込みながら、あなたの命が支えられている。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
《金子みすず 大漁》
自然と共に生きている人たちと生活すると、生きることと、命を奪うこととは、隣り合わせだと言うことをリアルに感じる。
何かの命を奪うことで、僕たちの命は支えられている。その命を奪うのを見ることも、知ることもなく、現代の僕たちは生きているのです。
そう、命を奪う行為を誰かに押しつけて…
前のブログで3月9日はサンキューの日だと書いた、僕のブログの内容にメッセージを入れてくれた、あなた…
「存在がありがとう、って、どういう意味ですか?
心が痛みます。
私は、自分の存在が大嫌いです」
生きるのがツライのですね…でも、生きることは、もともと辛いです。
「生の死」の上に、命は成り立っているのが、今日という日だから…
そして、あなたのように、僕の援助したいと思った行動が、あなたの痛みを作り出している。そう、これが生きることの悲しさ、淋しさなのです。
それを引き受けて、生きるのが僕の人生なのです。
夜回り先生こと、水谷さんが話してくれました。
リストカットをくり返し、引きこもっている少女がいたそうです。
朝、窓を開けて見たら、隣のお婆ちゃんが、ゴミを捨てる途中で、風にあおられて転んだ。部屋を出たことのない少女は、あわてて二階から降りて行き、お婆ちゃんを助けました。そして、ゴミ捨てを一緒に手伝ったそうです。
すると、お婆ちゃんは「あなたが居てくれてヨカッた」と手を併せたと…
僕はこう思います。
たとえ、親が認めてくれなくても、学校の先生が、あなたの存在を認めてくれなくても、僕はリストカットするその手を、誰かのために使う必要があると…。
きっと、その価値がないと思っているあなたしか、救えない人がいる。それは、どんなスーパーカウンセラーでも救えない人が…
僕が生活したインディアンたちの理想の死は、死ぬ時には「あなたと出会ってヨカッた!」と周囲から言われるのが、インディアンの理想的な死に方だそうです。
そう、生まれる時は、泣きながら、死ぬ時は微笑みながら…生まれる時と死ぬ時が逆転することだと…
昔「その衛藤先生の明るさは、どこから来るの?」心を病んでいる少女から不思議そうに訊かれたことがある。
「それは、先生のご両親のおかげですか? 先生の生まれ持ったDNA?」
その秘密はね…
僕は誰かへの、笑顔を向けることや、ほんの少しの援助が、僕自身を大いに支えてもらえるのだと、早く気づけたおかげなのです。
だから、今日も僕たちは泣いてなどいられない。落ち込んでなどいられないのです。
祈りの日は、今日で終わって、明日からは生きている人々は、命の役割を果たそうではないですか‼
明日、世界が滅びようとも、僕は今日もリンゴの木を植える‼
そう、明日の命のことは、誰もわからない、でも、明日を信じて、今日やれることを、するしかないと僕は思っています。
たとえ、それが誰にも理解されなくて、徒労に終わろうとも…
命の命じるままに‼