十把一絡げ

      2019/04/21

 学生の時に、教授が「『十把一絡げ』にして、人を見てはいけない」と言われたことがありました。頭のできが良くなかったボクは「十羽🐓一唐揚げ🍗」と勘違いして「鳥の唐揚げがたくさんあっても、人には見えないと思うけど」と友に耳打ちして、仲間や先生に大笑いされました。すいません僕は当時、アホでした。今でも、さして変わらないですが(笑)

 辞書によると、「十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)」とは、いろいろな種類のものを、区別なしにひとまとめにして扱うこと。また、一つ一つ取り上げるほどの価値のないものとしてひとつにまとめて扱うこと、とあります。

 心理学では、この心理を「過度の一般化」と呼びます。
 「男なんて、単純な生き物よ」とか、「女は感情的になりやすいから」とか。

 たまたま出会った人がそうだったからと、すべてを決めつけてしまう心理を過度の一般化と呼びます。

 例えば、たまたまアパートの隣に住んでいる隣人が少しの音で怒鳴りこんで来る、アパートの管理人に聴くと大阪の人らしい。部下の手がらを自分の手がらにしてしまう身勝手な上司がいる。彼は大阪出身らしいと同僚から聞く機会があった。友人の中で、やたらなれなれしく、親しくもないのに距離感を縮めてくる、面倒な関西人のヤツがいる。こうも大阪が重なると「大阪人はタチ悪い👎」となる心理です。でも、実際に出会ったのは3名だけなのです。

 関西人にも気の弱い人もいれば、謙虚な人だっているのですから「たまたま、自分が出会った関西の人は…」と言うのが安定した、人を決めつけないステキな人の言動です。だから、カウンセリングで奥さんに別れを告げられた、ご主人が「しょせん、女なんて魔物ですよ!」と言われると、心の中で苦笑いしながら「そう見えてしまうほど悲しかったのでしょうね」と同調しないで、優しく返すようにしています。

 また、この一般化は他人だけに向けられるものではありません。自分にも、ゆがんだ決めつけが向けられる場合があります。
 
 何度か恋愛で失敗したり、人前で話すことにあがってしまったりすると「私は恋愛に向かないタイプだから、一生孤独な人生なの…」「自分はあがり症でダメ人間なの…」と未来の可能性までも数回の経験で決めつけてしまうから困ったものです。

 考えてみて下さい。ハイハイしていた乳児が、立とうと思ってトライしたけど5回失敗したから「自分は立つことができない!」と決めつけてしまったら、誰もが一生立てません。今ごろ、街中はハイハイの大人たちばかりになってしまいます👶

 子どもが勉強しないからと言って「ウチの子は、あの程度ですから」と親が決めつけてしまったら、子どもにはマイナスの暗示が入って(催眠にかかって)その子は人生の可能性を閉じてしまいます。学校の先生でも「あのクラスは、あの程度なんですよ」と決めつけてしまうヒドイ先生は、子どもたちの未来を暗いものにしてしまいます。

 そして、過去に日本は、アメリカという国は「鬼畜米兵と言って、赤鬼のような血も涙もない人の形をした鬼だと」信じて戦ったのです。当時のアメリカにも、日本にも、優しい人も、冷たい人もいたはずです。

 「十把一絡げで、人を見てはいけない」と言った先生の言葉が身にしみます。

 先日、博多でタクシーに乗った時に、紙袋を持っていた僕に「買い物ですか?」と聞かれ、買い物ではなかったけれど細かく説明するのもなぁと思い、「えぇ」と僕。

 「外国人が多いでしょ?それも白人じゃなく、中国人!」
 「今、彼らの国は勢いがありますから」と僕はプラスの気持ちで言ったのだけど、運転手さんは「中国人は、日本人がキライなら、来んときゃいいのに💢」と同調をうながすようにバックミラーをのぞき込んだ。

 僕は「そうですね。一部の人はキライなのでしょうね。でも、好きな人もいるから来ているのでしょうけど…」と、心で苦笑しながら、タクシーの車窓から遠い見えない未来を見ようとしていた…

 いつか、日本なんて、中国なんて「こんなヤツらばかりだ!」と武器⚔️をかまえないことを願いながら…

 

 

 

 

 

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