出口のないカーブには…
車でカーブを駆け抜ける時は、カーブの出口の先に視線をおくことが大切だと教わりました。
視線をカーブの先におくことで、カーブの傾斜や角度をいち早く把握でき、その視線に合わせて本能的にハンドリングが上手くいくからです。そのカーブそのものに気を取られているとガードレールに吸い込まれてぶつかります。
今回のコロナパニックは出口が見えないのです。そのストレスから身体的に不調を感じる人が続出しているのです。不眠、悪夢、喉の渇き、動悸、過呼吸、目まいなどの心身疾患が急増しています。
雪山に遭難しても「救助隊が3時間後にかけつけるそうだ!」と、出口が見えると人は強いです。人は飢えと寒さには強いのです。でも、そこに「いつ誰が助けてくれるか分からない」という絶望が加わるとすぐに死を迎えます。
ですから、身体の疲れより、心の疲労はストレスが数十倍かかります。第二次世界大戦下のドイツのユダヤ人の捕虜収容所(アウシュヴィッツ)では、死が蔓延していました。収容所の仕事は何時に始まり何時に終わるかがわからない。何より自分たちが、いつ収容所から解放されるかすらも。ガス室に送り込まれるしか解放される方法がわかりません。ですから、自から命を亡くす人びとが沢山いたそうです。ある時に、クリスマスに連合軍がアウシュヴィッツに総攻撃をかけて我々は解放されるという情報が捕虜に秘密裏に広がります。
その事がきっかけで収容所では、自殺する人がピタリとなくなりました。出口が見えたのです。目標が明確になったのです。ですから捕虜たちは病気にかかることも少なくなり、元気になりました。ところが、クリスマスを過ぎても戦況は何一つ変わりませんでした。それがキッカケになって自殺者の数は急増しました。
また、出口が見えないだけではなく、今は生活そのものに大きな変化が求められています。子どもは学校に従来どおり通えず、お父さんはテレワーク、お母さんはパートタイマーも出来ず家にいます。
家族とはいえ、お互いに額が付くほどに近くで長時間過ごすと煮詰まってきます。旅行の団体ツアーでも、ツアーコンダクターは、必ず、それぞれに一人で過ごせる自由時間を組み込みます。旅行中、仲の良い友だちと四六時中一緒に過ごし、ケンカして帰って来たという話は珍しいことではないのです。
出口の見えないコロナ禍の時代には、家族が近過ぎて価値観の違い、感情のすれ違うトラブルがたくさん発生することが予想されます。
では、どうすれば良いのでしょうか?
フィフティー・フィフティーの法則です。自分がイライラしている瞬間には、相手も不愉快に感じていると思って下さい。こんなに自分はストレスがかかっているのに、自分だけがこんなに努力しているのに、という感情に見舞われます。この「自分だけ思考」が家族への怒りを増幅します。ですからフィフティー・フィフティーなのです。そんな時は、結婚式のスピーチのように、相手と自分の違い、相手の気遣いのなさを、両目ではなく、片眼で見るように心がける。
そして、お互いに家の中でも、心理的に自分の居場所を見つけることです。それは物理的な距離ではなく、読書でも、趣味への没頭でもかまいません。それぞれが自分の世界を確保することです。ただし、相手を無視するわけではなく、飲み物を運んだりしながら、一緒に居ながら、それぞれ違う過ごしかたでも良いんだよと行動と微笑みで、相手の自由を許すことは、それが自分の自由をも確保することになるのですから。
長い旅を続けるためには、穏やかに時間を過ごすことが大切なのです。