凍える瞬間を乗り越えて・・・・
2019/04/21
先ほど大阪から名古屋に着きました。とくに名古屋駅前は風が強く冷たいというよりも痛いという感じ。名古屋の生徒さんいわく「伊吹おろし」と言うそうです。滋賀と岐阜の県境の伊吹山から吹き下ろす風をそう呼ぶのだとか。
今日は名古屋の講座が終わり次第に、東京に向かいます。
今日、カウンセリングで「社会人の息子が働かない」と相談。
ただただ家で6年間ゴロゴロしていると言う。仕事を見つけてもすぐに辞めてくる、辞める理由は「自分のする仕事ではない」「家から遠い」「くだらない仕事だから」「先輩が無能だから」と言うんです。
きっと、彼は肥大した自己顕示欲が強すぎて、すべてを見下してしまうのでしょう。彼の子供のような理由で仕事を探せば、どこにも仕事は存在しない。
「では、息子さんと将来のことを話し合いましたか?」 と訊ねると、「言うと不機嫌になって怒りだすので」と今は食事を作るだけで会話もないという。
「でも、このままではダメですよね」と言うというと「わかっているんですけどね」と消え入りそうな声。
次に 「父親がいないから・・・・」
「いつまで私が働けるかわからないから・・・」
「衛藤先生から言ってもらえないですか?」と、こういうケースには必ずこういう結論になるのです。
息子さんも、現実や社会と向き合わない。そして、母親も息子さんと対決することから逃げ出している。
お互いに対決をさけるのです。心理的な緊張から逃げて問題を先送りにするのです。そして、誰かに人生の試練を肩代わりしてもらおうとする。
彼は母に生活すべてを任せる。母も第三者に自分の家族の問題解決を任せようとする。
動物界のジャングルでは、成人して狩りをしない動物は生きられない。それが自然の摂理です。でも、人間は子供が「可哀想」と言いながら、狩りをするために子供をジャングルに追いやらない。それも成人しすぎた子供を・・・・
「可哀想」は、自分が悪者になりたくないのです。
そして、その親の責任である「対決」を他人に任せようとするケースが多くみられます。
そして「父がいないから・・・」「私が若くないから・・・」と弱者になって責任を回避します。その逃避姿勢が息子さんの性格に移植されていることすら気づかずに・・・
人生とは「暖をとろうとすると、煙にあたります。 煙にあたりたくなければ、暖はとれません」
煙には、イヤだからあたりたくない。 でも、暖だけはとりたいはムリなのす・・・・
この寒い時期を乗り越えて、春の暖かさを感じるために、人間関係の寒い瞬間を乗り越えないといけないと「伊吹おろし」を受けながら僕も気持ちを引き締めました。