先祖にも、子孫にも、負けない一日!
2019/04/21
昨日の21日は、東京から相模原に移動して講演会があり、夜に大阪へ帰ってきました。
東京はキレイな快晴で、大阪も夜空にネオンに負けじと星たちが存在をアピールしていました。
だから、21日は東の空のオリオン座付近を見ていた人々も多いのではないでしょうか。
自宅のテラスから東の空を見ると、オリオン座の中心の三つ星が、生駒山の上にハッキリと顔を出していました。
そして、虫たちがBGMを奏でる。
夏の奏者の虫たちから、秋の奏者クツワムシへ、そして気がつけば、コオロギへと主役の座は代わっていました。やがて霜が降りる頃には、コオロギもいなくなります。
ひっそり静まり返った夜気の中で、短い寿命である虫が奏でる演奏を聞きながら星を見ていると、なぜだか物悲しくなるのは、僕だけではないはず。
人恋しくなったり、なぜだか、気ぜわしくなったりと…
もう出会うべき人に出会えたのか?
夢は叶えたのか?
夢の方向は間違いはなかったのか?
あとどれくらい時間が残されているのか? そして、その中で何ができるのか?
それは人生には、限りがあることを彼らが、短い命の中で懸命に歌っているから…
そして、彼ら虫たちも、短命な寿命の中で精一杯に生きて、あるものは別の命の肥やしとなり、あるものは次の子孫へと命をつないで行く。
それぞれのドラマをつむぎながら、死して土に帰る。そして、土の中では、彼らの命の遺伝子が、こうして脈々と何千年、何万年と受けつがれて、また、優しい音色を未来につなげて行く。
その音色は、未来の子孫も聞くだろう。
その子孫の中に、僕によく似た、もう一人の僕が、こうして虫の声をBGMに聞きながら星を眺めているのだろうか?
今夜の僕と同じように…
いや、過去にも、もう一人の僕のような先祖も、悠久の歴史のあるシーンで、この虫の音色を聞きながら、星を眺めていたに違いない。
その彼は、どんな人生を生きたのだろう? 少なくとも彼は、命のバトンを未来につなげた。
だから、僕は今、ここに生きている。
夜空を見ていると、途方もない時間スケールまで心は広がる。
そして、僕は思った。
負けられない、先祖の僕にも、未来の子孫である僕にも…
戦うべきは相手は、他人ではない。
比べるものは、財産ではない。
今日の自分が、自分の与えられた「今日」という日をシッカリと自分らしく「生き抜いた!」と胸を張って言えるかどうか。
一分一秒、の「今」を噛みしめたのか?
それが、戦い。
先祖にも、子孫にも、負けたくない。
星々は、過去生きた、もう一人の僕も知っている、そして、未来に生きる、DNAを受けついだ、もう一人の僕にも出会うことだろう。
だから、子孫の自分にも、先祖の自分にも負けないように、今の自分を味わいながら「明日も生きる」と、僕は星に誓っていた…
負けるな今の自分!
先祖にも、子孫にも、負けない一日を‼