何気ない記念日!
2019/04/25
「どうした?」
「いや、体調どうかなぁ?と思って」
「元気でやっとるよ」
「そうか。ならいい、もう父さんしかいないからなぁ。元気でいて欲しいと思える人は…」
「アホか⁉ お前は、どうなんだ?」
「お陰様で…何とか、やってるよ」
「くだらんコトで電話するなよ!」
「そうやって、憎まれ口たたいてくれないと(笑)元気なら何より、また、電話します!」ガチャ(切)
こんな何気ない電話がいい…
あえてタイミングを外す…
あえて言うなら「何気ない記念日」
人は、記念日が好きだ。
今日は父の日、今日は母の日。
結婚記念日、恋人の誕生日。クリスマス。子供の日と…etc.
そんなタイミングに、こだわっているから、僕たちはチャンスを失う。
雲門坊主が「日々これ好日」と言ったのは、そのコトだと思う。
先日のある食事会の会話。
家に帰ると「子供が寝ていて、子供と接する機会がない」と言っている女性がいました。
「昨日も、お酒を、お客と飲んで…」
「じゃ、今日は帰って、子供の顔を早く見てあげれば良いじゃないですか」と僕。
その次に返って来た言葉が「子供が寝ているから…」
よく聞くセリフ…
確かに、子供との会話が、あればあったでいい。でも、寝ていても子供の部屋に入って布団をかけるコトはできる。子供の頭を優しく、なでるコトもできる。
ソッと、机に座って子供の目線を感じるコトもできる。
「出来ない」と放棄しないで、できるコトを探すことが大切なのでは?
僕は、その女性に「小学生の、あなたの子供の、筆箱の中を見たことがありますか?
どんなペンを使っているのかとか、どんな消しゴムの減り方しているのかとか。
色鉛筆は何色入りを使っているのか?
どの色が一番減り方が早いのか?
その色は子供の好きな色なのかなぁ?」って
「子供の机の上には、子供の声が、いっぱい落ちていますよ…」
子供部屋で、数分過ごすだけでも、子供を感じる。
いや、眠っていても、子供たちには親の愛が伝わるのだと思っている。
僕の父親は、愛人の家から数ヶ月ぶりに帰って来ると、子供部屋に入り、僕の肩まで布団をかけた後に、僕の布団の上から、数度手のひらでトントンと、優しさをその手のリズムは伝えてくれた。
そこには、子供との大切な時が過ぎて行くことへの謝罪(そう子供は、スグに大きくなる。過ごす時間は限られます)。
また、スグに愛する人の所に、出て行こうとする、自分の弱さや不甲斐なさや、子供への言葉には、できない愛情が、その手には詰まっていたのだと思う。
その数分の想い出が、僕に、父へ電話をかけさせる
そうした僕の父への愛情の理由は、父が時間を作って、一緒にキャッチボールしてくれたことでも、どこかに遊びに連れて行ってくれた想い出でもないのです。
そう、あの眠っている幼い僕に、布団の上から伝える「無言の会話」が、僕に、今も何気なく父に電話をかけさせるエネルギーを与えてくれるのです。
だから「眠っているから…」と言い訳しないで、やれることだけでも、やってみませんか?
言い訳を言い出したら、「誰か」を、ではなく「自分」を、誤魔化すことになります。
なぜならば「自分が変わりたい」と言いながら、何一つ変わらない人たちを見ていると、他人にも自分にも、言い訳がうまい人が多い。
「メンタルのセミナーで自分を見つめる時間を作って下さい!」と僕が勧たり、「自分が心で思ったなら、その思いを相手にアイ・メッセージで伝えてみませんか」と言うと、スグに出来ない理由を考える。
お金がなくて、時間がなくて、誰かに遠慮して、立場が邪魔して、年だから…etc.
変わらない人ほど、言い訳がうまい。
それが言い訳だったのか、真実だったのか、の分かれ目は、実は「行動」にあるのです。
真実の人は、実際に行動に移します。
でも、言い訳の人は、その人の言うタイミングが来ても、行動に移さないで終わるのがパターンです。
そして、出来なかった言い訳を、自分にすることで自己納得したまま、行動に移さない。
「いつか自分も、やろうとは思ったのだが…」と言い訳がつきまとう。
人生最期の時にも「やろうとは思ったのだが…」で締めくくる可能性があるのです。
それが、その人のクセになるからです。
これを交流分析では「人生脚本」と呼びます。
何度も同じミスをする。
何度も同じようなケンカで、大切な人とお別れする。
いつも何をしても途中で投げ出して「やり抜いた」という経験がない。
それを変えるためには、あなたが出来ない理由を考えないで、映画監督になったつもりで「アクション‼」と叫べばよいのです。
そうです、いつもと違う自分を「演じる!」タイミングは「今、ここに」あります。
いつもグッド・タイミングを待っている人は、そのタイミングは、昨年の震災で、大切な人を失った家族のように、そのタイミングすら来なくなるかもしれません。
なぜなら、未来のことは、誰にもわからないのだから…
だから、◯◯記念日など待たないで「何気ない記念日」の「今日」に思いを誰かに伝えませんか?
離婚を突きつけられた、ご主人が「僕もね。衛藤先生ねぇ~、妻に『愛している』って気持ちは、いつもありましたよ。でも、自分の仕事がハードだからね…いつかはね…僕だって」
やはり言い訳なのです。
僕は心の中で、禅坊主になって「カーッ(喝)!」
「日々これ好日‼」って、叫びたくなるんだよね