伝統に宿る意味。
2019/04/21
さて、お正月の間、家の前に立てられているのが門松。三本、先端がとがった竹のイメージが強いが、そのベースは門松と言われるように松の木です。
あの鋭い斜めに切った竹は、玄関で邪気の侵入を防ぎ、過去のイヤなことを断ち切るためだそうです。また、古来から木のこずえに神様が宿ると言われていることから、松の木が基本になります。だから「門松」は何よりも神様をお迎えするためのランドマークなのでしょう。
ネェイティブ・アメリカも「木」を尊敬しています。なぜなら、彼ら木の兄弟には、人とは比べものにならない歴史があるからです。
時間をかけて大地からエネルギーを受け取り、酸素を出して地球に還元させているからです。
木は自分自身を信頼してシッカリと、その場所に立っています。あちこち居場所を変えずに自分らしく存在しているからです。
だから、ネェイティブ・アメリカの正しい生きかたは「聖なる木」のように生きることだそうです。
木は生きている間も、倒れてからも、多くの小動物の住みかになり、大地の栄養になります。
ですから、ネェイティブ・アメリカは大切な行事や儀式の時には、木を尖らせたものを立てます。それが魔除けや、邪気を取り去るからです。また、木には地面の力を、天空に循環させるためのトーテムポールのような働きがあります。彼らはこれで天空の神に祈りが伝わると言います。
インディアンの地におもむき、こういうことを聴いたり、学んだりするうちに気づいたこと。
それは「僕は自分の国のこと、日本人のネェイティブとして、文化を学ばなければ意味がないこと••••」
答えは遠い辺境の地ではなく、自分の足元にあるということ。
そう、 生きる答えは、外にではなく、内にある。
他国の歴史に知恵を求めるのも悪くはないけれど、我が先祖の育まれた知恵を知らないのは恥ずかしいだけなのです。
ネェイティブ・アメリカの友が、僕が「門松も同じかも••••」と言うと「それを詳しく教えてくれ」と、たずねる側が逆になった時「詳しくは知らないんだ」としか言えなかった。
ネェイティブ・アメリカの長老は、僕に笑いながら言いました。「自分の先祖の儀式をたずねられてもわからないのに、俺たちの先祖からの知恵を知りたがるのはなぜか⁇」
おっしゃるとおりです
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