仕事はないですか????
2019/04/21
僕は、正直に思っていることを述べさせていただけるなら、僕はどの不景気な時代にも、どんな状況でも「仕事はある」と思っています。
ただ、「仕事がない」と言う人の中には、自分の心の中にある、自信のなさを、満たしてくれる「仕事がない」と思っている人がいます。そう自分の劣等感を補える、人から称賛される仕事を探しているのです。
「どんな仕事がしたいのですか」と問いかけると「先生のような、人のお役に立つ仕事がしたいのだ」と言ってくださる。
僕の仕事を、ほめていただけるのは、とても、嬉しいのですが、僕はどんな仕事だって、人にお役に立つものだと、ひそかに思っています。
掃除の仕事だって、穴を掘る仕事だって、ムダな仕事など何一つない。
今の僕の仕事を見て憧れてくれるのはありがたいし、メンタルの講師陣の熱い授業を聞いて、夢を持つことも嬉しくもあります。
さらにメンタルの卒業生の活躍を見て目標にするのも、とても素晴らしい…。
でも、メンタルを卒業して、活躍している彼らにも、鳴かず飛ばずの時代はあったのです。
「魔法の質問」のマツダミヒロ君も、「名言セラピー」のひすいこたろう君も、「一分間勉強法」の石井貴士君だって、「鏡の法則」の野口嘉則さんだって皆そうなのです。「絵本ソムリエ」で絵本セラピーを広めているタッちゃんだって、最近までそうでした…
全員のその鳴かず飛ばずの時代をあげ出したら、それだけで本が出版できるでしょうね。(笑)
僕だって、お金にはならない無料のカウンセリングを続けた時代、始めは少ない受講生で、教室で使用する貸し会議室の費用でさえも、三人の受講料ではまかなえないので、僕が生活費を持ち出しては、教えていたあの頃…
その時でも、仕事をすることで、何か社会とつながっているようで、三人の受講生のセミナーでも、楽しくてしょうがなかった。
その頃のワクワク感は、今でも続いている。そしてそれが「今の僕」を支えています。
講演会などで、スポットライトを浴びて輝かしい「今」の僕を見て憧れてくれる人の中には「過去」の鳴かず飛ばずの時代の日々を、すっ飛ばして、経験したくない、と思っているような人が存在します。
今の輝きは、その時代の下積みの時間が今でも光っているというのに。
自分に合う仕事を探している人に「今、君はどんな仕事をしているの?」と、たずねると「今の仕事ですか ⁈ たんなる営業ですよ」と、いかにも彼は、つまらなさそうに答えた。
僕は、彼のその「たんなる思考」が、彼自身の成功の道を、阻んでいると思ってしまう。
なぜなら営業ほど、自分自身の人間の魅力が問われる仕事はないから…。
以前にも、
ある出版社の若者に「うちから本を出してもらえませんかね。小さな出版社ですけど…」彼は名刺を出しながら「自分はある大手の出版社に入るはずだったのに、試験の前の日に母が倒れて、当日は渋滞に巻き込まれ試験が受けられなかった…」と永遠と思えるくらいの時間を、彼は「自分が大手の出版社にだって、入れる能力があった」のだと止めどなく自分のアンラッキーさを僕に語ってくれた。
僕はカウンセラーとして思った…
彼は名刺を出すたびに、誰にでも、そのように、まずは自己弁護するのだろうと…。そして、小さな出版社である自分は「情けない」と、自分自身で、自分をミジメにしているのだと…
そして、そのたびに、大きな出版社でない自分は「くだらない」と劣等感を深めているのです。
僕は「それは、大変だったですね」と、不幸をねぎらいながら「彼とは仕事で、組めないなぁ」と感じていた。
僕は大きな出版社だから仕事をしたいと思わないし、自分の仕事を楽しんでいる人と、楽しんで仕事がしたいのです。
それは、どんな著者でもそうでしょう。
どんな小さな出版社でも「うちの出版社は、今は小さくても、ステキな本を出すことには負けません だから、いつか大きくなる出版社ですよ。そんな僕に本を出させて下さい」と熱く夢を語る編集者に、人は魅力を感じるのです。
もちろん、「大きな出版社だから」という理由で、本を出したいと考える著者もいるのでしょう。ただ、そのような著者も、やはり劣等感が強く、社会的な権威に弱い人 なのでしょう。
どんな仕事にも、面白いと思えるか、思わないかで、仕事の疲れかたや、ストレスは違ってくるもの。
やりがいのある仕事は、仕事そのものにあるのではなく、その人が取り組む姿勢にあるのです。
セールスでも
「営業なんて、ノルマに追われ、同じようなトークを毎回語って、頭を下げたわりには、給料が少なくて、やってられないです」と楽しくなさそうに自分の仕事を語る人がいます。
また、
「営業はステキですよお客様が、商品もないのに、僕のトークに一生懸命に耳を傾けてくれ、そして、そこからイメージをふくらませて、僕を信じて契約をしてくれるのですから。最高に楽しいです。」
どちらの方が、日々の営業活動に、深みと感動を感じると思えますか?
あなたは、どちらの人から商品を買いたいですか?
介護士のある人は「老人介護の仕事は、汚いし、臭いし、重労働だし、それにお年寄りは、こちらの言うことまったくきかないしそのうえに賃金が安いわで、社会的な地位は低いでしょ、介護士なんて割りにあわないわよ」と、
眉間にシワをよせて語る人と、今の仕事をキラキラしながら…
「介護の仕事って、自分がその年齢になった時に、誰かに、きっと「してもらいたいだろうなぁ」ということをするのですよ、ステキでしょ そして。「人なんか、家族なんか、誰も私は信じないよ」と言っていた高齢者が、最後の最期に「人は温かいんだね」なんて、言われると、本当に人生観が変わるるんですよ。そう、今までの苦労なんて、その瞬間に吹っ飛びますよ」と熱く語る介護士がいた…。
どうでしょうか、どちらが、人生を楽しんでいますか?
どちらが仕事の感動を味わっていますか?
最近、ニュースで話題になる、老人介護している人が、仕事のストレスから老人をいじめては、発散している人たちなどは、前者のような気持ちで、仕事をしている人なのでしょう。
仕事とは、その仕事の社会的な地位や周囲の評価に、面白さがあるのではなく、その人の姿勢の中にこそ、仕事の面白さはあるのだと思うのです。
話は変わりますが、僕の妻は、何かの集まりに行っても、自慢するものがありません。ほとんど専業主婦なのです。
熱い人々の集う集会で「今年の目標」を語り合いましょう!と言われて「何か目標を持たないと」と自分の中にある熱い目標を探してアタフタします。
皆が「私はこんなことを目標として 持っています」「今度、何時どこで、こんなセミナーを開きます」という時にも、とくに話すこともなく、子供もそこそこだし、これと言って語れる得意な何かもなく…さらに自分で自慢することもなく、配る名刺もないと無い無いズクしで、とてもアタフタするのです。
でも、僕はそんな妻に魅かれます。
何もない静かな日常を、一生懸命に生きてるだけの妻を…
誰にも、語るべきこともない妻の日々の生活の中に、僕や子供達は、どれだけ癒され、助けられているのか…妻はそれに気づいていないかのようです。
僕の周りには、社会の中で負けないでガンバっている女性が多いのです。それは、とてもステキなのですが、なぜか、僕はそのステータスには魅かれない…もちろん、これは僕のとっても個人的な感情なのですが…
僕が妻が「ステキだなぁ」と思えるのは「なんにも自慢できない」と言う彼女の素朴さにあるのです。
熱い集団の中で、静かに心の中で、目標をあせって探す妻を想像すると、微笑ましく思えてしまいます。
「やっぱりいいなぁ、この人が…」と…
だから、そんな妻を見ていると癒されます。
競争だとか、自慢だとかの、その外で、一生懸命に、自分のスタンスで生きる妻に、僕たち家族は癒されています。そこが彼女の魅力なのです…
これは、親バカではなく、妻バカでしたね。
さて、あなたの目指す仕事とは、なんなのでしょう。
人から認められる仕事ですか。
今日、ゴミを拾っている、あなたを見て、きっと誰かが「人生は捨てたものではない」と思っています。
誰に無視されても、あなたが誰かの心地よさのために、努力した日常は、見えないところで、きっと誰かを癒しています。
本当に、仕事はないですか?
小さな仕事の中にも、大きな意味が隠れているのです。そこに意味を感じられるのは、仕事の種類や業種ではありません。
そう、小さな仕事の中にも、芸術にまで高められる何かがあるのです。
「仕事がない」と、高い目標ばかり思い悩んで、何もしない時間を捨てて、今から何でも、できる目の前の仕事を、心を込めてやりませんか…
輝かしい成功よりも、小さな仕事の中に、たくさんの感動を味わえる人生を、僕はやっぱり求めます。そして、そういう人に僕はスゴく魅力を感じるのです。
仕事???
そう、星の数ほど、いや、人の数ほどにありますから…(笑)