不幸な時の考え方
2024/04/02
ある人が言いました。「苦しくなった時に多くの人が教えてくれた、幸せな言葉を言い聞かせています」
愛しています。ついてる、嬉しい、楽しい、感謝しています。幸せ、ありがとう。許します…
だけど、それらを唱えても生きづらさが無くせないのです。
この人は、見事に人の心の構図を言い得ています。J・ウエインバーグは言いました。「人間の行動は、その背後にある不安を強化する」
恋人にフラれた時に「恋人を忘れたいから」と無理して好きでもない人と付き合うと、さらに別れた恋人が恋しくなるし、眠れないからと、眠る努力をスタートして照明や枕を変えて、アロマやハーブティを入れたりすると「眠れない事実が不幸だ」と強めることになります。
顔のニキビが気になって、髪の毛で隠し見せないようにすると「ニキビは恥ずかしいこと」という自分のコンプレックスをさらに深めます。不眠も、アガリも、赤面も同じことです。
それと同じで苦しみや悲しみを無くそうと行動すればするほど、不幸や悲しみが無くならないという逆襲にあいます。まったく悲しみや不安を感じない人はいるのでしょうか? そこから逃げないと絶対にならないのでしょうか?
強迫的に手が汚れていると不安になり、洗えば洗うほど、まだ洗い落とせない汚れがあるのではないかと不安に支配されてしまう人に似ています。
先日、ある研修の最後に「衛藤先生は、幼い時から両親の離婚、育ての親の自殺、子どもの病気(小児がん)などあったのに、心が落ち込むことがなかったですか?」と問われた。もちろん、落ち込みもし、涙も流した。その都度、僕もうろたえたのです。でも、心理セラピーの数々に出会い、悲しみから「何かを学ぶ」ということを多くの心理学者から教わった。
C・ロジャースには「悩みは人生の宿題だ」と教わり、慈恵医大の森田療法の創始者の森田先生からは、悲しみ苦しみを「あるがまま」に受け取り、“幸せにとらわれない”ことを学びました。
ロゴセラピーのV・フランクルからは、不幸な時こそ人生の意味が見出せるチャンスだと知りました。共通するのは、人は不幸や悲しみから無闇に逃げないで、そこから人生に「問われている」ことを考えることです。
先にあげたV・フランクルは、ドイツのアウシュヴィッツの強制収容所から生還した精神科医です。彼は言います。寒い季節に夜具がなくても風邪をひかず、糞尿や汚物で最悪の場所でも眠って生き残った人々は、身体が頑丈な人ではなく、心に希望を失わなかった人々だと。
誰かが自分を待っていてくれる。自分が生きていることで役立つ人びとがいる。フランクルは「この極限の心理状態の経験」は、人間の研究に役立つのだと信じ、この経験を聴衆の前で、講演している未来の自分を想像することで、この地獄のような現実が、あたかも過去であるかのように思えることで希望を失わなかったと語っています。
不幸は重なることがあります。その時に「なぜ?人生は…」と思います。
でも、そこから逃げないで「これは心理カウンセラーとしてきっと役立つ。未来への宿題だ」と思えることで、不幸を最悪と固定しないで「この宿題を解けたら、また強い自分になれる」と思えることで、ストレスに対して筋力がついたように思います。
「逃げよう」とするのか「鍛えられる」と取るのかでは、心の体力は大いに違ってくるのだと思います。
あなたは悲しみや不幸から逃げようと思っていませんか、その時こそ「人生で何が問われているのか」をしっかり考えましょう。
最後にフランクルの言葉に「不幸な時に『人生はなぜ?に…』と問わないで『人生が自分に、何を問いかけているのか?』を考えてごらん」と言っています。
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心理カウンセラー衛藤信之
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