一瞬の中の永遠。

      2019/07/26

 今日は七夕です。

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 年に一回逢えるなんて、どれだけ待ち遠しかったでしょう。

 僕が大好きだった伯母に「なぜ結婚しなかったの?」と、学生の時にたずねたことがあった。(若さとはいえスゴい質問です)

 僕の質問には明確に答えず、伯母は女学生の頃の話をしてくれた…

 彼女が学生だった頃、お兄さんとその親友の会話が好きだったと、宇宙の話、旅の話、動物の中で人類とはどんな存在なのか?そんな話を静かに、二人のかたわらで聴いているのが楽しかったと…

「のぶゆき、男の人の会話って、女性にはない話題が多かったの。友達がどうしたとか、あの人はどう思ってくれているのだろう…という、女学生との会話と違って、世界が広がってゆくのが好きでね。だから、その人が遊びに来るのが楽しみで。お前も、そんな話が好きだから、のぶゆきの話を聞いていると、男の子だねと思うのよ」と…

 「その人のこと好きだったの?」

 「さぁ、どうだったんだろう。でも、その人は若くして雪山で死んじゃったの。だから、好きだったのかも分からないまま」

 「そう、でもその人のことを思い出すのは、伯母さん好きだったんじゃないのかなぁ…」

 「死は、若い時のままで思い出に残るから、美しくもあるし、残酷でもあるわよね。だから、その男性のイメージは、雪の白さみたいでね。沈黙の白い雪。雪が静かに降るみたいな、静けさだけが残ったの」

 すべての沈黙のベールでおおうように、伯母は話を締めくくった。

 僕は、話を聞きながら、女学生だった伯母に出会っていた。

 今の時代の、さわがしい恋人同士のやり取りよりも、その秘めたる思いが、今もこの伯母の中に、静かに白く燃えているのだと、僕はその時思った。

 この会話も、はるか昔になったけど、今でも「若い人の死は、白い沈黙のよう…」だけが、なぜだか僕の印象に残った。

 そう、真っ白なまま、途中で書かれなくなったノートみたいに。

 だからこそ、その人が生きていれば、どんな歴史が「そのノートに書かれたのか」と、生きている者だけが取り残される…

 老人ホームに慰問に行った時、自分の夫のことを忘れていても、戦地に旅立って行った、初恋の人のことを今でも、昨日のように話してくれる老いた女性に出会った。

 神社の先にある鎮守の杜に呼び出されて、白い軍服の彼と最後の別れ。

 「明日、戦場に旅立ちます。なにとぞ、お元気で…最後に、お願いしてもいいですか?」

 「はい⁈」

 「あの…あなたの手を握らせて下さい」そう言って戦地に向かう若者は、白い手袋をはずした。

 そして、愛する人の手にそっと触れた。この感触、この瞬間を、自分の手の細胞一つ一つに凝縮し、記憶するように…

 その青年は「一瞬の永遠」から、我に返ったように、愛する人に敬礼し、「この手の思い出だけで、僕は心残りなく戦地に出向けます。なにとぞ、あなたは、お幸せに!」とだけ言い残して、青年士官は走り去った。

 最初で最後のデート。

 そんな思い出を、昨日のことのように語る年老いた、過去の娘がいる。

 思う時に逢えない恋の辛さと、毎日のように会っても、感動を薄めてゆく恋人たちの孤独もある…

 生きることでも、恋愛でも、その一瞬一瞬の「今、ここ」を、どう味わって生きるかなのだと思う。

 別れがあるから、出逢えた時の感動も、ひときわなのかもしれません。

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 年に一度の、逢瀬に乾杯! 二人とも、その瞬間を味わって!

 

 <追記>またもや、コアなファンから、関連記事を教えて頂きました。

2012/04/13時の神さま

2011/07/07七夕伝説!

日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき
 

 

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