一生は、お散歩…

   

 今回はネットでの心の勉強は良し悪しだねという話…

 自己肯定感を持てと言われると、自己肯定感のない・持てない自分を嫌い、
 優しく生きろと言われると、優しくなれない自分を責める。
 うつ病になると、うつ病でない自分の姿を求めて苦しむ。
 元気の出ない自分を知ると、輝いた頃のキラキラした過去の自分と比較して落ち込む…

 そして、過去は悔やんでも変わらないと100%頭では理解しているのに、しっかりしなきゃと思い、心の中で、いつも自分がどうしてこうなったのか、何が間違ったのかの反省会をしてしまう。

 過去の自分の言動・行動を虫メガネで見つめ思い出し連日連夜、反省会をして自分を責めてしまいます。

 もちろん、今日は今日で生きているので、今日の言動・行動も反省会の議題になり頭がいっぱい、いっぱいになってしまいます。

 やがて、その自分を責め過ぎて逃げ道を失いパニックになると「こうなったのは過去の関係性だ」となり、親やすべての取り巻きを恨めしく感じてしまいます。また過去は誰にも修正はできないと頭でわかっていながら、過去を分析して直そうとする。
エイヤー!と過去に投げ飛ばす自信もない。

 さらに過去のイラ立ちを今日も誰かにぶつけるので、さらに自己反省の材料を今日も増やしていってしまう。もちろん、過去は変えられないと思っているのに、さらに過去の分析を始めて、今を生きる材料にしようとするから、またもや魔のスパイラルに落ち込んでしまう。

 完全なるもの or 不完全なるものかで、人生を考えるので、まだらのグラデーションを受け入れられない。ですから、白でも黒でもない灰色のグラデーションを受け入れている人は、いたって心が健康なのです。

 真実の人間関係、真実の愛、真実の自分、真実のやりがいのある仕事…など、真実とは「今日を精一杯生きること」でしかない。もちろん、サボったら「サボった」があなたにとって精一杯だったのだし、もう少しやれたのには、「もう少しやれた」のが今日の自分では精一杯なのだし。そんな自分の1日のグラデーションを許容している人は、いたって安定している。不完全さを受け入れることで過去は「過去」において行くことができるのです。

 ただし「グラデーション」と誰かに言われると、今度はグラデーションを受け入れない人を責めて白黒ハッキリさせようとする。オイオイ!

 どちらにしても、風向きが激しいのが双極性障害の特徴です。上がる下がるの乱気流が激しい。

 だから、調子の良い躁状態の時には、すべてがキラキラし明るく見えて、世界は優しくて信じられると思えるのも双極性の特徴でもあるのです。躁状態の時に自分は「もう大丈夫だ!」と全快し、心はクリアだと感じます。でも突然に、将来の不安や自分への自信のなさに見舞われると、その暗やみのギャップに過剰に不安になり、落ち込みが舞い戻って「やっぱり私は治らないんだ」と思ってしまう。双極性の特徴は何にしても極端だから、治るか🌕(天国)治らないか🌑(地獄)の二つしか選択肢がない。

 したがって天国に安住できなかった、自分への落ち込みは、さらに加速度がつき、気分は急降下に落ち込んでしまう。すると二つしかない世界から早急に逃たくなります。それが希死念慮(いつも死にたいと願う感情)です。特徴は自分の存在は無価値だと思ってしまいます。もちろん、誰にも自信を失う時はあるのです。でも、それを見つめ過ぎるから苦しくなる。

 もともと1日の間に天国的気分も、地獄的なヘコみも人にはあるわけで、それを顕微鏡で覗いて拡大すると、人は吐き気を催すくらいに落ち込みます。心にも視力があります。ただ心の視力は見え過ぎないほうが丁度良い。そう、ある意味で鈍感な人のほうがこの世は生きやすいのです。

 精神薬は、その敏感さを抑えるのですが、やはり自分の敏感さは、自分でトレーニングして抑えたほうがいいと僕は思っています。その方法はあります。ただし、その方法を敏感に探したりし過ぎないことも大切です。

 まずはスマホを捨てましょう。そしてネットで「幸せとは〇〇!」「自己肯定感とは〇〇!」「正しい生きかた〇〇!」を検索しないことです。

 そして鈍感で麻痺している人たちとリアルな人間関係で出会い、その人の行動様式を取り入れることから始めましょう。ただし、そんな人に出会えたらOK、出会えなくてもOKですからね。出会わなければならないは違いますからね。

 犬も歩けば棒にあたる。そう、放置しておけば少女は強くなる(CM?)…

 合言葉はケセラセラです!なるようになるさ。「死ぬまでノンビリ風に吹かれるように散歩しよう」です。


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