ギブの法則
2019/04/21
人との関係がうまくいかない人の中には「与えない人」がいます。
もらう(テイク)ことが当然、親切にしてもらって当たり前の人です。
「死ぬ~!」って大騒ぎして、周囲が優しくしてくれて当たり前!自分が孤独で淋しい時には、人が親身に聴いてくれて当たり前…人が自分の話を「可愛そうに…」って同情してくれて当たり前の人がいます。どれだけ友人の時間をさいて聴いてもらっていても、自分の淋しさだけにフォーカスがかかっているから、相手が時間をさいて関わってくれていることや、その相手が夜中一晩中聴くことの大変さが分からない。自分が苦しいこと(悩み)だけにフォーカスがかかっているから相手の親切が意識にのぼってこない。
ある相談者に「死にたい」と言われて、夜中にタクシーで走ったことがあります。でも、彼女は「まさか来るとは思わなかった!」と、「もう死ぬ気がなくなったから帰っていい」と言っただけでした。
「本当に大丈夫なのかい?」とたずねると「カウンセラーは悩んでいる人の、いつも味方でしょ。それを確かめたかった」と言い放った。彼女は一度も、お礼を言わない。
その次の予約の時に、彼女の前の相談者がカウンセリングが長引いて、彼女はカウンセリングを15分待たされた。待たせたことを「申し訳なかったね」と、こちらが伝えると、その言葉をすり抜けて「待たされた!💢ありえない」とカウンセラーは不親切だと怒りだした。
彼女は周囲にパーフェクトな母親を求めています。友だちも親切に、自分の話を夜中でも聴いてくれて当たり前。カウンセラーが淋しい時に飛んで来てくれて当たり前。自分の思っているように、周囲の人は自分が悩んでいる時に「私に親切にすべきである」と思い込んでいます。
まさに周囲に完璧な母親を求めているのです。
幼い時は、泣いて、叫べば母親が優しく抱きあげ、ミルクを与えて、オシメを換えてくれて当たり前。だから、いまだに心理的に理想的な母親を周囲に求めてしまうのです。
そのことを指摘すると、自分も「ありがたい」と言う気持ちはある。でも、それは伝えなくても分かってもくれるはず。「それを理解するのがカウンセラーでしょ!」と悪びれることもなく不満そうに告げた。
私たちは身近な人に、慣れてきた人に、気をつかわない人にほど、甘え(母子一体感)が出やすくなります。「伝えなくても分かってよ!」「感謝なんて水くさいじゃない!」「結婚しているのだから…」「恋人なのだから…」「親だから…」「カウンセラーだから…」となる。要求ばかりを求めてしまう。
このような甘えの人は、他人にギブ(感謝を)しないから、人間関係がうまくいかない。「してくれて当たり前」は、 子どもの心理です。大人は「親しき仲にも離別感です」他人がしてくれたら「ありがとう」「感謝しています」「助かりました」と笑顔で返す、それが大人です。
先ほどの女性の相談者にも、僕の思いを伝えました。君はきっとお母さんを周囲に(友人・カウンセラー・恋人)に求めているような気がする。君が感謝しなくても、与えなくても、周囲は「私に親切にしてくれてあたりまえ」「優しくすべき!」「親切に私をあつかうべき!」
そのような都合のいい愛が存在するなら、幼い時のお母さんだけだと思う。君はエチケットを知っているかなぁ。エチケットの語源はチケット(切符)なんだ。君はギブ(与え)続けてくれる完璧な母親(誰か)を求めているのだと思う。でも、パーフェクト・マザー(完璧なお母さん)は、永遠にどこにもいないんだよ。
「私は実のお母さんに愛されなかった💢」と言い放った。「だから、こうなった💢」と周囲に攻撃性を向ける。
僕は答える「そうかもしれないね。だから、君は大人になっても完璧な愛を探している。自分が努力しなくても愛されるマザーを。他人は一時的に親切にしていても永遠に一方的に愛を期待されると、逃げ出してしまう。だから、君は僕のカウンセリングを受けているんじゃないのかい?『皆がいつの間にか君から離れて行ってしまう!』というテーマで」
「じゃ愛はないの?」と、彼女はか弱くたずねた。
「あるさ」と僕。「大人の愛は育てないといけないんだよ」人は親しくなると愛を育てなくなる。感謝しなくなり「足らない💢足らない💢」と言い始める。
植物に水が必要なように、水をやらなくても育つ植物がないように、身近な人間関係にも水がいる。その水は「当たり前」のことに「感謝して、ねぎらい、ありがとうを伝える」それが大人の愛を育てることなんだ。「それが愛の水なんだよ」
人間関係がうまくいかない人は、親しい人に「ギブという水」を与えなくなる。若い子の中には、不機嫌な顔をしていれば、誰かがかまってくれるはず。不満を持ち続ければ、誰かがその不愉快さから「導き出してくれるべき」と求めてしまう。その不機嫌な人から周囲は離れていく。
これがギブの法則なんだ。テイク(求める)ことはするけど、君はギブ(与える)ことをしない。だから、君の周りから人がいなくなるんだよ。泣いていて、怒っていても、人が寄って来てくれるのは、子どもの時代だけ。だから、大人の君は、チケットを手に入れないといけない。
それは、笑顔だったり、感謝だったり、ねぎらいだったり、色とりどりのチケット🎫はあるよ。それがギブの法則だよ。そして、君のためなら何かをしたいと思えるような周囲の愛を育てるんだよ。
僕が彼女にした厳しい意見をコンフロンテーション(対決)と呼びます。カウンセリングは受容(母性)だけではダメなのです。厳しい(父性)関わりも必要なのです。大人になるには、彼女が母子一体感(甘えの世界)から別れて、大人として周囲と協調して生きることなのです。だから、やってくれて当たり前、親切に周囲が私に関わってくれて当たり前は幼児性の表れです。
彼女は泣きながら「先生、このあいだタクシーで来てくれて、ありがとうございました」「いつも私の話を聴いてくれて、ありがとうございます」
僕
は「何だか、そう言われると嬉しいなぁ~ 。なんか、また君を助けたくなったなぁ~」と答えました。
「よろしくお願いいたします」と彼女はペコリと頭を下げた。
「よし!何だか君のために、やれることをしたくなったなぁ~」と僕は笑いながら応えた。
心の中で、僕は彼女にこう思っていた。
それが、大人になった君を守ってくれる、たくさんの新しい両親を外に作っていける方法なんだよ。過去の失った親の愛を探し続けないで、新しい母や父を自分の力で作ってゆく。「いつも、ありがとう」「感謝しています」「お世話になっています」「私があなたに何かできることはありませんか?」
君が大人になっても孤独にならない、誰からも君のためなら、何とかしてあげたいと言われるエチケット(切符)なんだよ。もう一度REBORN、自分で世界を作りなおそう。君のためならと思える笑顔、瞳、可愛さを身につけよう。自分の力で…
ガンバレ! 過去の失った親の愛を探し続ける大人たちよ!
それが、孤独にならないための「ギブの法則」なんだよ。
=追記=
「誰にも世話になってなんかいない」と冷めて笑顔のない若者が増えている。
それでも彼らはカウンセリングが終わった後には、親の家に帰り、冷めた目で親が作ったものを食べる。そして、親の家で寝る。それでも「誰の世話にもなっていない」と言ってしまう。もちろん、押し付けがましい親の愛もある。親のシツコイ関わりに、嫌気がさす時もあるだろう。ならば自分で笑顔を作って「君のためなら」と言ってくれる、外の親を探せばいいのだと思う。そう! 一人で独立して親離れして生きれば良いのです。ただ独立する勇気はない。でも、親にとやかく言われたくもない。甘えたくない人に、甘えないと生きられなければ、人は「意味のない不機嫌」に見舞われる。
頼りたくない人に、頼らなければならない時に、人は不機嫌になってしまうのです。母子一体感から離れたいのに、一人では生きられる自信も、勇気もない。人はその時に、自分でも意味不明の不機嫌に苦しむのです。