アホさに気づかない幸せ…
2019/04/21
たくさんの講師の講演会があり、僕と同じ講演時間にマラソンのオリンピックメダリストの有森裕子さんの講演会がありました。
一番、聞いて見たかった講演が有森さんのお話しだったので、同じ時間なのが悔やまれると主催者の人に話していると「隣の講師室に有森さんが居られるので会われますか?」と言ってくださったので「挨拶したい!」と隣の講師控え室に、ご挨拶に行きました。
やはり予想通りスッと立ち上がった笑顔は、僕の視線にしっかり合わせて挨拶してくれました。
あのアトランタオリンピックの時に「自分で自分をほめたい」と言った言葉はとても印象に残っていました。
カウンセラーとして自分で「自分がキライ」と言う人にたくさん出会う僕としては、自分が自分で好きと言い切れるのはステキなことだと思う。
それに彼女は銀メダルを取った時よりも、3位になった銅メダル時に、この言葉を語った。そう人は順位ではなく、どれだけ、その瞬間に命をかけたか…
何もしないでいる人が、熱く何かに夢中になっている人に、ニヒリズムから「バカみたい」と笑ってしまう人がいる。
まさに講座で言っている「引き下げの心理」です。
人生に冷めきった人にすればバカみたいに見えることでも、そのバカなことに夢中になっている人がいる。
そのバカさに気づかないくらい夢中になる瞬間に、その人は、この世界で生きることを楽しんでいる。
ある登山家に「なぜ、山に登るのか?」と質問に対して「そこに山があるから」と答えた登山家は山を楽しんでいる。
「生きる意味は?」と問い続けることよりも、汗をかき、涙をながし、目の前の今日を一生懸命に生きている人のほうが生きることを楽しんでいる。
わずか何秒の記録を縮めるために何年も汗をかき、涙を流している人がいる。
その人が、苦しみぬいた末に、数秒を短縮した瞬間に「自分をほめたい」と叫べるほどの感動を人生で味わえる。
その数秒に感動と生きる意味が隠れている。
たしかに「それがなんなの?」と言ってしまえば、意味などはないのかもしれない。
でも、その意味のないことに夢中になれる「何か」に出会った日々に、人は生きていることを楽しんでいるのです。
でも、ノイローゼの人はすぐに意味があるとか、ないとか、役に立つとか、立たないとか、人生を二元論で単純化しようとする。
でも、人はその二つの意味の世界の「間」(あいだ)に夢中になれるから人生には感動があるのだと思う。
退屈な日々とニヒリズムの視点から
「何秒縮めるのに意味があるの?バカみたい!」と言ってしまうことによって、その人からは、この世界の中に隠されている生きることの感動を見いだせなくなる。
バカみたいなことに夢中になってこそ「自分が大好きになれる」感動の瞬間が訪れる。
人生は祭りのようなもの、祭り(人生)はいつか終わる…
意味のないことに夢中になり踊るヤツもアホなら、退屈とニヒリズムでバカになれるほどに燃える「何か」に出会えないヤツもアホなのです。
僕は人生、意味があるとか、無いとかの二元論を、またいで「何か」に夢中になれる瞬間をたくさん持ちたい。
そして、祭りが終わる時に「よう踊った」と、心から笑えるアホウでいたい。
ありがとう。有森さん。貴女の講座が終わった時に、「衛藤さんは、まだお話しされているんですね」と微笑んで会場を後にされたとか…
ハイ、その時、僕は時間を忘れるほどアホでいましたよ