かみしめる一日!
2019/04/21
言葉がすべてを伝えうるコミュニケーションではない••••
笑顔、涙、香り、瞳、肌の温もりが時には、言葉よりも雄弁なことを、誰もが経験的に知っています。
昨日は東京の日本教育会館(一ツ橋ホール)で東洋はり医学会の特別講演で話をしました。いつもの講演会に比べると120名ほどの小さな講演会でしたが、なんだか講演前から緊張しました。
参加者の半数近くが視覚障がいの方々だからです。視覚よりも聴覚で多くの情報を感じ取る能力の持ち主です。声だけに意識を集中しているので、僕の意識にすら上らない、僕の知らない心の部分までも見透かされそうな気がして••••
幼い子供と接する時も、言葉を交わさない動物と接する時も、彼らの心がピュアだけに、同じようなある種の緊張を感じます。だから、好かれた瞬間にホッとします。それは、容認されたのだと思えて••••
だから、昨日の講演会は、言葉を一つずつ噛みしめるように語りました。いつもはスピーディな僕が、その行間の空気をかみしめながら•••••最後に割れんばかりの拍手をいただいた時にはホッとしました。
そして、考えました。
日ごろから、歩くことも、食べることも、愛することも、会話も、生きることも、かみしめていることを忘れていないかを•••••
歩く時は、一歩いっぽの地面の感触と、移りゆく道ばたの景色をかみしめているのか。食べる時に、あれこれ考えながら食べてはいないか。その人と出会いながら次のスケジュールに思いを馳せてはいないか。相手と握手する時に、細胞の一つ一つで挨拶しているのかと•••••
このブログを書いている一分一秒が、もう二度と訪ずれることのない、時だということも•••
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最大の連休を取っていた人も、今日から新たな時が刻み始めます。
この日は誕生日、この日はクリスマス・イブの日、そして、この日は元旦。このようにある特別な日だけを大切にしないで、「今日」という戻らない日を大切にしませんか。
だから、今日は普通の日ではなく「かけがえのない日」
雲門禅師が「日々是れ好日」と喝破したのはこのことなのでしょう。
今日という一日を、すみずみまで味わいましょう。