え 、メンタルはカルト ⁈
2019/04/25
「僕、妻と別れようと思っているんです」
「奥さんと別れるの?」
「だって、妻は子ども達の話しを全然聴いていないし、自分の感情をぶつけて子どもを叱るんですよね」
「だったら、奥さんもメンタルにコミュニケーションを学びに来たらいいのにね」
「僕も誘ったですけど、妻はメンタルはカルト集団だと思っているんですよ」
「えー💦それはショッキングな話しだね。じゃ僕は教祖か、なんかなんだ💦」
僕はこの話が気になって、彼にこう尋ねた?
「もし、奥さんがそうやって感情的に子どもを叱っている時に、ご主人はどうしているの?」
「そりゃ注意しますよ。そんな聴き方はよくないだろ。そんな叱りかたしても子ども達は変わらないよってね」
「それは、ご主人の態度にも問題ありですね。そりゃ、奥さんからすればメンタルはカルトに映るかもしれないですね」
「え!?僕が悪い?」
これは、多くの夫婦でやってしまうパターンなのです。
確かに優しい奥様のガミガミと、子どもを叱っている態度は、ご主人からすると100年の恋も冷めてしまうシーンかもしれません。
でも、ここで気をつけないといけないのは、これはご主人にも責任があるのです。
なぜなら、奥さんは、好きでガミガミ言っているワケではないんです。
では、なぜガミガミ言ってしまうのでしょう。
それは、奥さんは家庭を守るリーダーとして、しっかり教育しなければいけないから、一所懸命に女性性を抑えて、男性性(厳しさ)を強く出しているのです。そこに、ご主人が仕事から帰って来て、女性性(優しさ)を発揮して、子どもの味方になり「そんな叱りかたは良くないだろ」と、子どもの前で奥さんに注意すれば奥さんはリーダーの立場を失います。そうする事によって、余計に奥さんは孤独になって、最悪には「子どもが生まれて来なければよかった💢」「私は私でなくなった💢」と子育てを楽しめなくなります。
そして、子ども達からすると、お母さんは恐い人というイメージになり、お父さんが優しい正義の人という役割を演じてしまうようにさせられます。そのように一度「恐いお母さん」というレールがひかれてしまうと、残念ながら奥さんは優しさを抑えて、そのレールを走るしかなくなってしまって、さらに傷ついた妻の心は「どうせ私は恐いのよ!」と女性性をさらに抑圧してしまって周囲のイメージを取り込んで恐い母親の役割をまっとうしてしまうのです。これをピグマリオン効果と言います。誰もが周囲の持つ自己イメージには逆らえないのです。
そんなにも傷つき、心の血を流しながらも、家庭をシッカリ運営しているリーダーである奥さんに、ご主人から理路整然と心理学で攻撃され、自分の子育てを責められると、ご主人の通っているメンタルは憎き場所になるのは当たり前です。そりゃ、カルトと思われますね。
僕は彼に伝えました。
「あなたは、子ども達の心を救っているつもりでも、奥さんの心を救ってあげていないじゃないですか」
離婚するという結論を出す前に、奥さんの女性性を救ってあげて欲しいのです。
もし家族で出かける様な、あわただしい時、リーダーの役割をしている奥さんが余裕がなくなって、子ども達にガミガミ言い出したら、ご主人が、さらに男性性を出して「ケンタ!早く荷物を持て!」「ミク!はマフラーを巻いた?忘れ物はないか!」とリーダーである奥さんの役割を演じてあげて下さい。そうしたら、奥さんは自分のいつものパターンを知ることになるし、奥さんは男性性を出
さなくて済むから、奥さんの女性性がよみがえり「まぁ、アナタそんなにあわてなくても大丈夫よ」と優しさを出しやすくなりますから。
何よりも気をつけないといけないのは、奥さんがリーダーとして、しっかりと子ども達を育てないとならないからと、必要以上に男性性(厳しさ)を出している時に、ご主人が「もっと、叱りかたを考えろ」(女性性)と奥さんを注意することは、相手に伝わる隠れたメッセージは「お前は男か!」と言っているのと同じなのです。この言葉に奥さんは傷つきます。
どうしても、奥さんの言動が気になってしまうなら、子ども達のが寝静まった後に二人きりになって、まずはIメッセージで「いつも、子ども達のことを、君に任せてばかりでゴメンね。子ども達を『しっかり教育しなきゃ』と、お前に責任を押し付けているから君もイライラするよな。僕は会社に行っていて、いつも子どもと一緒にいないから、家の細かなことが分からないから、君にばかり負担がかかるよなぁ。ごめんね。いつも君には感謝している。よくやってくれているよ」と奥さんの大変さをねぎらうことです。そうすれば奥さんも女性性が出て来て「私も最近、イライラしてしまって、怒りたくないのに、子ども達に感情的になってしまうの…」と素直になれる率が高くなるのです。
時には、奥さんに「そうよ、あなたが悪いのよ」と言われるかもしれません。その時も、勝ち負けゲームに乗らないで「そうだね、そうだね、大変だったね」と聴き続けることです。
ある程度、怒りのエネルギーを出すと人は落ち着いて来ます。
その時に「僕も心理学を勉強して変わったよ。君も学んでみたら、きっと、もっと楽なコミュニケーションを知ることができると思うんだ」と伝えたら、メンタルは決してカルトにはならなかったでしょうね。
よくあるのはメンタルに来ている人が、楽しそうにしていると、取り残された家族は孤独になります。そして、その人がやってはいけないことは「これは勉強だから」という正義論をふりかざすことです。これは最悪です!
この正義論はいろいろあります。「仕事だから」「つき合いも大切だろ」「生活のために…」「人気が大切なんだ。ファンを作るために」これは相手が反論できなくなります。それと同時に、その正義論に相手は怨みの心を蓄積させていくのです。
だから、自分が楽しい時こそ、日陰で支えているパートナーに「僕が日々楽しく過ごせるのは、君のお陰なんだよ」と、Iメッセージを伝えることです。そして、美味しいものを食べたら、パートナーも美味しいものを食べに連れて行くことです。楽しい思いをしたのなら、相手にも楽しい思いをしてもらうことです。
これは職場のメンバーにも同じことです。僕は楽しい場所には、お世話になっている部下たちも後日必ず連れて行きます。
そうすれば、楽しい個人の勉強も応援してくれます。でも、それをせずに、自分の正義論でパートナーや仲間の、いたらなさを責め、ダメだししかされなければ、そのパートナーやリーダーのやる事、なす事は、すべて大嫌いな、憎きものに変わってしまいます。
身近な人に仕事を応援してもらえない人、趣味を支持されない人は、その仕事や趣味が身近な人にとっては、マイナスはあっても、プラスがない時なのです。
11月22日は「いい夫婦の日です」でも、この心理は夫婦だけではなく、家族、職場でも同じ原理が働きます。考えてみて下さい。なぜ、あなたは応援されないのか?
誰かを責める学びではなく、相手を救う学びが、正しい勉強なのですよ。だから、自分の自由と解放だけを求めるセミナーや、家族がおいてきぼりにされる学びには僕は疑問を感じています。
なぜなら、
あなたの心の解放は、身近な大切な人の幸せに結びつかないと「あるがまま」で、自由な自己の解放は、身近な人からすると「わがまま」の身勝手な変化にしか映らないのですよ。
身近な人を救うのが、真なる心理カウンセラーなのですよ。