いずれも同じ心の夕暮れ
2019/04/21
カウンセリングをしていると
「こんなことで悩んでいるのは僕だけです」
「こんな悲しい失恋は私だけです」
「身内の死がこんなに苦しいなんて」
と、自分以上の苦しみはないと誰もが訴えるのです。
カウンセラーの経験を通して言えることは「人は悲しみに出会うと、誰もが自分が一番不幸にちがいない」と思うようです。
「この世で一番辛いのは自分だ」と思ってしまいます。でも、今この瞬間にも「イジメで苦しんでいる学生がいる」
「失恋で食事もノドを通らない女性がいる」
「大切な人に死なれて悲しみの深みに沈んでいる人がいる」
誰にも悲しみの時があり、その真っ只中では、人は自分だけの悲しみに気持ちが向かいます。
でも、その瞬間にも、世界では数百万人が同じような悲しみに泣いている。
もし、その孤独のふちで「誰もが、このような悲しみ、孤独と戦っているのだと思えれば」「目に見えない者同士や戦友がいると思えれば」
少しは究極の孤独から一時でも癒されるのかもしれません。そう、自分も乗り越えなきゃと思えるのかもしれません。
寂しさに 宿を立ち出でて ながむればいづこも 同じ秋の夕暮れ
~良暹法師~
さびしさは秋だけではなく、春の中にも存在します。
そして、この世界に存在する人の数ほどに、やはり存在するのです。
リリー・フランキーの「東京タワー」で、彼が初めて母親(オカン)の死を通して、街で通り過ぎるだけの人々にも、誰かの死を経験し、乗り越えて生きているのだと思うと「誰もが偉い」と実感したという主旨のことを書いていました。
そして、東京の街のビル群が悲しみの石塔に見えたと••••
誰もが、いづれも同じような悲しみに出会うのかもしれない。その時には笑いたくても、笑えない。
だったら、何もない今日は感謝して笑って生きよう。
いつかは誰にも訪れる試練のために••••