あるよりも、たくさんの空っぽ
2019/04/21
いつも全国を往き来していますが、連日、秋深しな日々を感じています。
とは、言っても栗とか、秋刀魚とかを、ゆっくり味わっている余裕もなく、ただ澄んだ高い空であったり、日が暮れる時間帯の短さであったり、夜に感じる肌寒さの空気感ですが…
僕たちの無意識が、感じる情報網は素晴らしく、意識に上る、上らないに関係なく、店先に置かれた柿や、ショーケースに陳列されたマロン味のケーキ、車を降りる時に感じる鈴虫の声、街にキンモクセイの香り、稲刈りの終わった景色など、五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のスーパー・センサーが無意識に取り込み、季節の変化を身体と心は感じています。
「秋深き 隣は何を する人ぞ」は芭蕉の有名な句です。秋が深まり、元気な夏の熱風ではなく、赤や茶色の景色から吹く、さびしげな風を感じて、ふと目の前の人よりも、隣の住む知らない人とも感動や温もりを分かち合いたくなる…
僕たちは、目の前の誰かのことを考えて、日々を生きています。恋人や、ビジネス相手、身近な人を中心に考えがちです。
直接には縁のない人…
街の歩道で過ぎ去っただけの人、エレベーターの中で乗り合わせた人、遠景の中に見える家、マンションの一室一室にも、人びとの暮らしがそこにあります。直接には縁のない人びとにも、喜びや、悲しみの深い人生があり、今この時を、誰もが一生懸命に生きているんだ!と「目には見えない連体感」を芭蕉のように広い心で感じていたいものですね。
そんな心の余裕を、秋の静かな時間は感じます。
ただ、秋風が吹くと、自分にないものを数える人がいます。ないものを数えるよりも、自分の生活の中にあるものを数える時間を意識することが大切です。落ち込みやすい人は、自分にないもの、人生に欠けたところを数える傾向があります。
コップに半分しかないと言ってしまうより「コップに半分もあるよ!」と言えるには、心の余裕が必要なのです。それは、物質で幸せを感じる人と、心で、いつも穏やかに幸せを感じる人との差なのです。
道元が中国から帰郷し「何を持ち帰りましたか?」と質問されて、「空っぽを持ち帰った(空手還郷)」と笑いました。「空」は「たくさんある」より無限大なの です。ある者(物)は失いますが、空には詰め込む無限大の広さがあり、また、空には増えてゆく楽しさがあります。「有(ある)」は、ただただ、今から失ってゆくだけなのです。
有名な人は、無名に変わります。だから、無名は有名より安心です。
そして、この世には、何も持っていない人は存在しないのです。
誰にも今までの歴史があります。思いのままあやつれる手があります。高級なモンブランのペンはなくても、身近な机の上に目をやれば安物のペンはあるのです。どちらも書けます。ブランドの服はなくても、今この瞬間の貴方も服を着ています。そう、寒さは充分に防げるのです。
そして、道元はこうも言いました。「目横鼻直!」だから、この世界は何も持っていない人などいないのです。と、目は横についているし、鼻は誰でも真っ直ぐ、 縦についている。「何と比べる?」と、「何が必要?」と… ただそのことに気づいた「心を持ち帰った(空手還郷)」と言ったのです。
ありがたい経文を持ち帰ったところで、なんになる‼️と…
石川啄木の歌に「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」僕はこの歌が好きです。
周囲が成功して、うらやましく思えて心が落ち込む時には、何のために生まれて来たのだろう???
「生まれて来なければよかったのに」と、心がしおれた時には、花を買って、自分にも自分を愛してくれる妻がいる。その人と花を楽しむ時間があるじゃないか。
もちろん、福山君のように吹石一恵さんのような妻がいなくてもです(ここ笑うとこです)
誰にも親がいる、その親が愛してくれなくても、ワンちゃんがいる、いやネコがいる。たとえ、ペットも、周囲に誰もいなくても「目横鼻立」の自分の身体がいてくれる。そう「セルフ・ラブ💕」です。自分をシッカリとHold me tight!です。
だから、秋は「ある」ものを数える“実り”の秋にしよう。
仕事のない人は、読書や自然とたわむれる時間があります。有名で人に囲まれていなくても、あわただしく人と会うよりも、身近な人とゆっくり語りあえる時間があります。愛する人がいない人は、運命の誰かは、あなたをこの広い空の下で待っている。う~ン最高💞
さぁ、ゆっくり秋の薫を胸いっぱいに感じますか…