あやふやな完璧主義!
2019/04/21
カウンセリングの現場でも、心理学の教室でも「自分が、このままでは良くないと思うのです…友達に対しても、職場にも、だから、自分を変えたいと思うのです」
では、「自分の何をどう変えたいのかなぁ?」と質問すると「へこたれ無い自分に…」と答える。
「どんな自分がへこたれ無い自分なん
だと思う?」と質問すると「強い自分に…」になりたい。
「では、どんな自分が強いのだろう?」と質問すると。
「どんな時も、ブレない自分!」
「ねぇねぇ、ブレない自分とは、どんな人なの? 具体的に誰かいるのかなぁ、この人はブレないなぁと思う自分のモデルになるような人が?」
「自分に自信がある人!例えば 、そう衛藤先生みたいな人」
「え⁉ 僕?ブレる!、ブレる! ブレまくり」と焦る
また別の人は、
「自分が、昔も今も変わっていない」「どこが昔と変わっていないの?」「すべてが…」「具体的に、どこが変わっていないと思うの?」「心が弱いところ」「では、どんな人が、強い人なのだろう? 君が一番、自分自身で弱いなぁと思っているところってある?」「全部!」
これらのような会話のパターンがよく出てくる。
具体的になりたい自分も、修正したいと思う具体的な問題点も見えてこない。
自分が嫌いだから、もっと強くなりたいや、なんとなく幸せになりたいなど、なんとなくのムードだけで具体的なものがあるわけではない。
僕はこう思っています。
人は幸せになっても、また、不幸に見舞われる、人は強い時もあり、弱い時もある。ブレない時もあり、ブレる時もある。
それが人の人生だと思っている。
本当に強い人は、弱い自分もいることを知っている人なのです。
そして、強くなれない自分の状況に、また、いつか出会うことを覚悟しているのが、真の強さだと思っている。
僕がブレないように見えたとしたなら、ブレないのではなく、人にはブレることがあるのが普通だと思っていることにはブレない自信がある…(笑)
完璧を求めて苦しんでいる人は、完璧な安全地帯に行きさえすれば、永遠に安全なパーフェクトな世界やパーフェクトな自分自身があると信じている。
それは、真の弱い人だと思う。
本当に強い人は、弱さを抱えて生きることだし、泣くような人生が、今後も自分にもあるだろうと覚悟して生きることなのです。
そして、誰もがそれに耐えながら生きている。
足らない人生を悲しまないで、今、完璧ではなくても、少しでも足りている人生に感謝する中にこそ、真なる強さと幸せが宿っています。