「親子関係」の卒業
僕は父に敬語を使っています。
なぜでしょう?
それはやはり高齢者だから…それもあります。
それは自分の中で、父親というよりも年配の人として見たほうが関わりがうまくいくと気づいたからだと思います。
親が許せないという人もいます。
もちろんそれぞれの関係で愛せない理由もあるのでしょう。ただ心理的にいうと怒りは期待の裏返しであることには間違いないと思っています。それだけ、あなたは親に期待しているし、望んでいたのですよね。

親子の距離は難しいものだと思います。
近づき過ぎると親として、昔の関係を求めてくる場合があるからです。例えば、主従関係で偉そうだったり、ダメ出しの連発だったりと…。でも西洋では大人になれば、親元から離れて暮らす。だから親子といえども互いに離別感がしっかりしている。
相手を一人の老人と、一人の大人として分けて考える風潮があります。

でも日本やアジアの国々は親と子どもの距離が混ざり合っています。だから愛憎関係も深いのでしょう。
僕は両親が早い時期に離婚しています。そして、僕自身も早く家から出ました。そういう意味では西洋的なのかもしれません。
親子の問題をたくさん見てきて感じるのは、親に怒っている子どもはそれほどに「期待」と「期待はずれ」の関係が見て取れます。
また依存関係もあるのかもしれません。大人になっても「子どもが生まれた時にサポートしてくれなかった」「結婚に口出しされた」「親が浮気をしていた」など…裏返せば親子の距離が近いのです。

それは期待と挫折との関係にも似ています。怒りは期待の量に比例しているのです。裏を返せば、親は「こうしてくれるべき」が心の根底にあり、子どもとしての甘えの感情が見え隠れしているように僕には感じています。
ある女性が実家に帰るとイライラすると言います。「家が湯呑みとか洗い物がいい加減なので匂う」「布巾が汚い」「不潔感がある」と…
「それは期待の裏返しだね」と僕。
僕はアドバイスをしました。
だったら心理的に距離をあけて、過去の番組の「ウルルン滞在記」のように異文化に飛び込む芸能人の気持ちになって「未開な人々はこうしてイモ虫を食べるんだ」「泥水の池で身体を洗うんだ」と実家に帰ったら。だって違う文化に来て、『こんな生活はイヤだ!』は失礼だよね。

彼女からの報告は「ウルルン滞在記だと思うと腹が立たなかった!」
そう、彼女は自分は過去の家族に、過度に期待があったのだと気づいたのです。
僕は昔は殴られたり、罵倒されたこともあったけど、今は父に敬語を使い年配者として優しくできるのは、それは親の為でもあり、自分の中の生き方の礼儀でもあるのです。
そして、そう接することで親子関係は劇的に変わりました。
これは言葉の持つ魔法でもあるのです。今は父を心から愛しています。
最後に、
「卒業」は、親子関係にもあります。
親との関係は、一生続くものではありません。どこかで「親子関係を卒業」することが訪れます。
親を「親」として見続ける限り、あなたは《期待と失望のループ》から抜けられません。でも、親を「年配の人」として見たとき、関係は劇的にラクになります。
それは、あなたの理想の親へのイメージからの卒業でもあるのです。

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心理カウンセラー衛藤信之
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