「無知」という罪

      2024/06/12

   

  

 僕がアメリカで最新のサイコロジーやセラピーを学んでいた時、いつも、知った喜びと同時に、知らなかった悲しみに包まれていた。

 それは僕の家にやって来た若い女性の命を誰も救えなかったから…

 その人は僕の母になり自ら命を落とした…

 父から愛され、心変わりした父を思って、この世を去って行った…

 数日前から綺麗に磨きあげられた家の中…

 最後の力で磨きあげられた床や家具。

 そんな病んだ母のいくつかのシーンを思い巡らせながら、多くの心理セラピーを学ぶなか、僕は落ち込んでいた。

  

 病んだ心を救うセラピーが数多く存在していたのに、知らないで生きていることの怖さ。その時代に心に刻んだのは「知らないことは罪だ」ということ。それがよく講座中に独り言のように出ることがあります。

 「無知は罪」だと…

  

  

 言葉は不思議と僕も知らない場所で一人歩きすることがある。

 ある受講生の投稿がある賞をとった。その人は講座の中で僕が発した「無知は罪だ」この言葉が頭に残ったという。

  

 彼女の息子さんは不登校であった。

 あるママ友との会話の最中に、子育ての大変さを語っている友の一人が、

 「まぁ色々あるけど、ウチの子は不登校やニートではないからまだましね」

 その後ママ友の苦労話が頭に入らなくなった。もちろん、彼女は悪気があったのではない。そのことは自分でも分かっている。ただ、その会話をどう終わったのかも覚えていないほどに彼女を打ちのめした。

 その時に、自分が発した言葉を思い出した。

     

   

   

 職場で、「子どもが不登校でね」と上司が漏らした時、「無理をして学校なんか、行かせなくていいですよ」と言っていたことを… 

 上司は「ありがとう」とは言ってくれたが、その後に自分の子が不登校になり、それがいかに安易な言葉であったか。

 無理して学校に行かなくてもいい。それは分かっている。

 でも、やっぱり学校に行って欲しいのだ。いや、子どもも友達と遊びたいのに、学びたいこともあるのに、その場所に行けなくて楽しい青春を苦しんでいる子どもを見るのが辛いのだと…

  

 それぞれの背景を知らないで、「不登校やニートにならないだけマシ」と言ったあのママ友と変わらない、安易に発する自分の姿だった…

  

 彼女は振り返ります。

 当時の私はなんて傲慢だったんだろう。あの時、私は理解のある大人のフリをして、「良いことを言ったなぁ」とすら思っていた。不登校という状態にある子を持つ親の気持ちなんて、全く理解できていない発言であったと…

   

  

 「無知は罪である」という言葉は、当時の私には受け入れにくかった。だって、知らなかったら仕方がないではないか。

  

 「知らなかったんだもん、仕方ないよ」

 そう言い合う文化が、私の周りでは普通だった。

  

 だから、これからは自分が知らない世界を認めよう。

 不登校のこと、発達障害のこと、戦争のこと、宗教のこと、LGBTQ+のこと、など…

  

 世界は知らない価値観や風習に溢れている。全てを理解することは不可能だけれど、今の自分とは違う世界があることは、常に頭の片隅に置いておこう。

 きっとそうすることで、不用意に知らない世界の人を傷つけてしまう発言は、減っていくのではないだろうかと…

  賞を取った文章の一部につづられていた。

  

   

  

この報告を受講生から受け、あらためて僕は思った。

言葉は「諸刃の剣」だと…

救いにもなるし、逆に人を傷つけもする。

  

奇しくも1回目の講師養成講座がスタートした。

その知識の背景を「知らなかったから…」では許されないのが心理を伝える側の使命でもある。

  


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心理カウンセラー衛藤信之
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