「恋空」
自ら死を目指す人が増えています。
浄瑠璃で「死んで花実が咲くものか…」がよく使われたことで、このセリフは年配者が、死を望む若者に対して説得するシーンによく登場します。この意味は「死んだ木に、花が咲いたり、実が実らないように、死んでしまっては、今まで生きて来た努力の先にある成功も夢も実らないから、命を捨ててはいけない」と伝えたいようです。
でも、今の時代に死にたいと思っている人に「では生きていたら花実が咲くのですか?」「その保証はどこにあるのですか?」と次つぎに反論されるのではないでしょうか。僕でもそう反論したくなります。生きていても花実が咲く保証がないではないか!と…
先日、テレビで終戦後すぐの銀座の焼け野原と十数年後の銀座の街に日本の国産車が走っているシーンが映し出されていました。銀座の真ん中に路面電車が走っていたのですね。
さらに、数年後の60年代に銀座のビルにネオン管の看板がキラキラと輝いているシーンが映し出されていました。
すごいスピードで日本は復興したことが見てとれました。現代の銀座よりも未来都市のようです。当時の日本の人々の高揚感のせいでしょうか?
その銀座のビル群に看板を作っていた会社の社員へのインタビューシーンがありました。高齢になられた彼らが「あの頃は生活が厳しかった(裕福ではなかった)。でもね明日は、今日よりも、きっと素敵な日になると誰もが信じていた時代だったから、楽しかった時代ですね」と思い出をたどるように笑顔で語っていました。続けて「その当時の社長がね『日本人は戦争に負けたけど、いつまでも下を見ていてはダメだ。誰もが上の看板を見て人々が歩いてほしい!俺たちの会社は、日本人に上を向かせる仕事なんだ!』と言った。その社長の言葉にシビれてね。当時は誰もが夢を持って仕事をしていましたね。本当に楽しかった時代ですよ!」
「そうだろうなぁ」と羨ましく僕はテレビを見ていました。
今の若い世代は失われた30年と言われる時代に生きています。世界にはいつも戦争の火種があり、日本だけに目を向けても、平成元年には世界トップ上位20社のうち日本企業が13社も入っていた。でも平成31年には、上位20社に日本企業は1社も存在せず、日本のトップ企業のトヨタ自動車ですら43位という状況です。日本は世界から年々、大きく溝をあけられてゆく状態が続いています。
コロナ禍においても、政府の政策のまずさや、目先だけの判断に舵をきり、その場しのぎに変わる方針を見ていても、日本はこれから失われた40年になることは必定です。
もう、未来に花実も感じない時代かもしれません。だったら「もう生きるのを辞めたい」という人の気持ちも分からなくもありません。
徳川家康が言った「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」と…未来が見えない時代です。
まさに、生きていたら花実が咲くのですか?と言われらたら、返す言葉が見つからないなぁと自殺した俳優のありし日の、まぶしい笑顔がテレビに映し出されるたびに、やるせない気持ちに心理カウンセラーの僕はなっていました。
そう誰もが人生で一度も死を考えたことのない人はいないのかもしれません。自分も追い込まれたらそうなるのかなぁとも思ったり…なぜなら、自分のことも、未来のことも、誰にも先のことはわからないから…一寸先は闇の時代です。
そんな気持ちで僕は窓から外を眺めていた…
この梅雨の曇り空の中に、少し青空がのぞいた、その瞬間に「やっぱり青空はいいなぁ」と心に感じる感覚…たしかに生きていたら花実「夢」や「将来の成功」はあるのか?ないのか?は、未来のことは誰にもわからない。でも命を失った彼には、これから幾たびか「青空っていいなぁ」と感じるシンプルな感覚までも自殺によって捨ててしまったんだなぁと思うと「花実ってなんだ」と僕は考えました。そう頭で考えると禅問答の答えが見えなくなる!
現代は思考の時代です。頭で考える「成功」や永続的な「幸せ」はまさに見えない時代に生きているのかもしれません。
でも五感に感じる一瞬の「青空っていいなぁ」とか、誰かと重なりあう呼吸や、誰かの笑顔の心地よさや、木漏れ日を肌で感じる刺激だとか、草むらを通り抜けて来る柔らかい風の感覚といった、五感で未来に彼が味わうかもしれない感覚をも捨ててしまった自死は、彼が意図した落とし物だとしても大きな代価だと思う。人の生死を部外者が、あれこれと口にするのは好きではないけど「誰かの笑顔」や「青空」に恋する感覚まで滅ぼす権利は「理屈」とか「思考」には存在しない。
禅のいう「まぁ、お茶でも飲みませんか(喫茶去)」は、趙州禅師が「悟らねば(修行の成功)」と真面目に考え過ぎる、若い修行僧に「頭で考えないで、感じる感覚のほうが、人生では上位なんだよ」と、「本当の悟りは、頭ではなく心で感じるものだ」と禅師は若者に教えたかったのではないかと思う。
そう美味い茶を味わった瞬間を思い出せ!それは未来にもあると…
真面目に未来の幸せを頭で考え過ぎると、人生は重荷になってしまう。ただ徳川家康は「遠き道をゆくがごとし」の言葉の後に「急ぐべからず。不自由を常に思へば不足なし」と続けました。
人生は不自由なんだよ。思うようにならないことが常(普通)だと思えば人は重荷から自由になり心が楽になる。そうすると不自由の中にも、光を感じられ、大空を感じる瞬間がきっと見つかる…その時に心に自由な感覚だけがよみがえる。それさえあれば人間は不足なしと…
今は誰もがコロナで不自由です。それぞれに人生に課題が山積みになっています。でも、誰にも空を恋しいという感覚を楽しむ心の自由は未来のシーンにも必ずあるのです。
「恋空」というステキな映画で、日本アカデミー新人俳優賞を取った経歴の彼が、死を考えた時に「空」を愛おしく感じる感覚を思い出していればと思うとさらに無念でなりません。そう映画「恋空」は、僕の故郷の大分がロケ地でした…
そして、誰かが亡くなると要らぬ詮索だけが巷を飛び交います。
親に彼が俳優を辞めたいと相談した時に、お母さんに頑張りなさいと言われたとか…
何よりも子どもが先だったご両親の心が、世界中の誰よりも一番傷ついている。意味のない外野の詮索が、さらに誰かを傷つけないことを僕は切に願います。
早く梅雨が明ければよいですね。
なんだか空が恋しいです!