祖母からの応援歌
すべてには意味がある。
ユングは「日々の中をつぶさに見れば偶然に重なり合った出来事には意味がある」と言い、シンクロニシティと呼びました。
以前、ブログに書いた、亡くなった祖母の遺歌集が完成しました。僕の祖母から託された短歌のノートを預っていた姪である親戚の女性が完成させてくれたものでした。「コロナ禍にあって編纂する時間ができたから」とのこと…
そこには戦争で亡くなった祖父と息子(僕の父)への愛がつづられていました。
嘆けどもかへらぬ夢と知りながらいまだにかわかぬ我が涙かな
冷えびえと独り寝覚めぬ真夜あればまたも恋はるる君が面影
いつの日か還りたまはん心地すれ古き童話の浦島のごと
庭すずめ睦みあえるを見るさえも今日この頃は淋しかりけり
夕づきて帰らぬ人と知りながら窓辺に寄りて待つ身愚かし
愛でられし恩に報ゆはただ一つ君が遺児を守りゆくこと
ひとしほに亡き夫恋し愛し子のお馬になれとせがむ夕べは
この僕の祖母の歌集は、今年愛する夫を失った妹にも届けられたようです。
編纂してくれた親戚に、妹からお礼の手紙が届けられたとメールをいただきました。
その手紙に妹は…
「ご連絡しなくて申し訳なかったのですが、私も夫を亡くしたばかりで共感できる部分がたくさんあって、このタイミングで歌集を届けていただいたのは、おばあちゃんからのメッセージではないかと思っています。タイトルになった『過ぎればすべて愛おしい日々』私もそう思える日がいつか来ればいいなと思います…」
その親戚の方が、こう付け加えてもくれました。
「叔母が私に、夫を亡くし寂しさの中にいる孫娘へ共感と励ましのメッセージを送るために、私を動かしてくれたのでしょうか。よくもこのタイミングで歌集作成に踏み切らせてくれたものと、心から叔母に感謝しました」と…
この歌集のタイトル「過ぎればすべて愛おしい日々」は祖母の晩年の歌から決めました。
顧みてわれのひと世のなりわいも過ぎて思へばすべて懐かし
張り詰めし苦境の日々は長かりき老いてやうやく安らぎのあり
僕は空を仰ぎ、感傷で鼻がツーンとし涙していました。「おばあちゃん、ありがとう! きっとそうだよね…」東京の教室をコロナ禍で閉じてから強引に抑え込んでいた涙だったのかもしれません。
お盆の時期と重なって寄せられたメールでした。
妹だけではなく、僕も「過ぎればすべて愛おしい日々」にするからね。
おばあちゃん、空から見ていてくださいね!
今を過ぎればすべて愛おしい日々にしてみせるからね…