イーグルの視点を持ちたい!
イーグルの目を持ちたい。空の上から全体を見わたせる視野を…
あの国、我が国、ではなく全体を包括出来る視点に立ちたい。
僕の好きな龍馬が「日本を今一度洗濯いたし申しそうろう」と手紙に書いた。
今、世界は自国の主張だけを押しつける。
カウンセリングで使う、心理セラピーに「エンプティ・ チェアー」という技法があります。まず、2つのイスを向かい合わせにして置き、片側のイスに自分が座わり、向かい側の空っぽのイスに向かって自分の立場や思いを伝えます。次に、自分が対面する向こう側のイスに座り、先ほどの自分に対して話をします。つまり、自分が伝えた思いに対して相手がどのように思うかを想像して「相手の立場」を語ってみるという心理テクニックです。
これを何度か繰り返していくと、相手との思いの違いは、立場の違い、視点の違いによるものだと気づきます。すると怒りが収まって、心に余裕が生まれ感情的な気分が少し落ち着いてゆきます。
人はついつい自分の座っている立場から世界を見ています。自分の立場、自分の正義、自分の経緯、でもそれと同時に、相手にも相手の立場、相手の正義、相手の経緯が存在することも忘れてはなりません。
今のアメリカとイラクとの緊張や、日本と韓国の輸出締めつけも、それぞれに言い分があるのも理解できますが、それも視点の違いにお互いが立って考えれば、自国が正しい、相手国が間違い、勝つか負けるかの二元論ではなく、第三の道が見つけられるはず。
対立からは何も生まれません。
そこにあるのは自分の見たもの、知っているものを信じたいという、互いに「認知の歪み」が存在するのです。
親子でも、恋人同士でも、対立した時に、どれだけ相手の立場に立てるかが成熟した人間同士のマナーです。
100万年前のアウストラロピテクスから、人という種は、自分と違う相手を、殺しあったという形跡が頭蓋骨に残されています。その時の凶器は石や骨で出来た斧や槍です。
現代は一挙に一瞬にして世界に死の灰が降ります。僕たちは心が進化したのでしょうか?
種の滅亡は集団自殺だと言われています。
あるネズミ集団はおかしくなり、大軍で川になだれ込んで滅びました。恐竜も体を大きくし合っていったことで、隕石が落ちたことで生じた環境の大きな変化に身体が対応できなくなり、滅びました。その結果、身体の小さかったネズミのような哺乳類の時代が訪れました。
現代は、思考は発達しましたが、感情の興奮(義憤、苛立ち)は未だに抑えられません。そして、何よりも怒りの根底にあるのは自分たちの正しさ、そう自分自身を納得させるための「大義名分」です。その大義名分とは「自国の正義」「世界の平和のため」「家族を守るため」、それが過去の戦争のスタートです。
今度の戦争は局地的な戦いでは収まらないでしょう。
まさに最終戦争です。決して僕は脅しているわけではなく、今、そこにある脅威です。
今、必要なのは、肌の色も違う、文化も違う、歴史も違う者同士が、どこかお互いに共通点を見つけなければなりません。
それは、アフリカの聖人シュバイツアー博士が「生命の畏敬」で語られた「我々は、ただ生きんとする生命に囲まれた、ただ生きんとする生命だ!」
僕が幸せに生きたいと思うように、僕が好きになれない人も、やはり幸せに生きたいと願っています。自分の正しさに偏る時に、相手も相手なりの正義に偏っていることを忘れてはならないのです。そうです、互いに国と国の立場を乗り越えて、考えられる人類だけが類人猿よりも、進化した人類となるのだと思います。
江戸時代の龍馬の生きた時代は、藩と藩で別れ、互いにいがみ合っていました。
龍馬は「薩摩じゃち、長州じゃち、喧嘩しちょちゃいかんぜよ。お互いに意地や立場を乗り越えて手を結ばにゃいかんぜよ。ワシかい ⁈ 土佐じゃないき、ワシは日本人ぜよ!! 」
過去にいなくなったはずの龍馬が未来の僕たちに語ります!
おまんらワシの末えいぜ! 韓国じゃち、日本じゃち、小さき視野の中で喧嘩しちょっちゃいかんぜよ。ワシかえ? 地球人ぜよ! 地球規模いや宇宙規模の視野を持たんといかぜよ!ええかい、おまんらは世界のために走らなよ!」