収穫の時…
2019/04/21
今年の後半は、名古屋、大阪と毎月ごとに修了式があり、スタッフは嵐のような忙しさだったでしょうが、反面、それぞれの地域の修了式で感動も味わいました。 本当にスタッフのみんな、ご苦労様でした。
修了式では、参加者の多くが、大人になって、自分で決めて勉強する⁈ いや、楽しむことの面白さ、週一の心のカラクリの発見と変化、講座が面白いほど、日常とリンクして、生活が、心ひとつで魔法のように様変わりする様子をそれぞれに報告してくれました。
ある女性は、兄と比較され、母親に気をつかいながら、幼い頃を過ごしてきたと言った。いつしか「自分が何を言っても聞いてもらえない」といった思いから、自分を素直に出しても無駄だから…といった思いに取りつかれた。でも、メンタルを受ける中で、母親も最初からそうだったのではないと思えるようになっていったそうです。彼女いわく、母は夫の両親との同居で7人家族。その夫である父親は単身赴任をくりかえし、ほとんど家にいない。長男の嫁として義理の父の介護などのストレスがたまっていたこともあったのだと…その母も16年前に脳卒中で倒れ、入退院のくり返し、後遺症と闘いながらの生活だそうです。
メンタルの教室で、練習で母に「感謝のアイ・メッセージ」は作ったものの、言えるかなぁと思ったり、それでも、いつか「母との確執を乗越える」のが私の課題なのだなぁと感じていた。
でも、何度か母の病室に行って「アイ・メッセージ」伝えようと思っても、話しているうちに、いつもの母のイヤな一面が感じられて、その一歩を踏みだすことが出来ない日々が続いた。そんなことを博多校のスタッフの池田さんに話すと「実は、私もそうだったです。でも、いつか“コレだ”ってチャンスはきますよ! 」と言われても「そんなチャンスは来るのだろうか」と半信半疑だったそうです。
でも「そのチャンスは突然におとずれたのです」とふりかえって話してくれました。
母の誕生日に今まではパジャマやタオル、流行りの美味しいスィーツなどを、贈っていたのですが、でも、昨年の入院からは、母は口から食べることができなくなって、母にとって「食べる」という唯一の楽しみが失なわれました。今年は、母の日の当日まで考え続け、とうとう夕方になって、思いつかないなら、時間をかけて母がよいものを探そうとあきらめかけた時「これがチャンスかもしれない!今からなら面会時間に間に合う」と、100円SHOPで便せんを買い、高速道路で病院に向かいました。すると、伝えたいことが、後から後から、あふれ出し、病院のロビーのソファーで母への感謝のアイ・メッセージを下書きなしで書いたのです。面会時間ギリギリに病室に入り、ふと見ると兄から贈られたであろう黄色のカーネションが、すでに病室にありました。「お母さん母のプレゼント持ってきたよ。今までプレゼントを贈ってきて、ネタがつきたけん今回は手紙書いてきたよ」そして、目の不自由な母に代わり、自分で読みました。初めての母への手紙…逃げ出したい気持ち…。
最初はこんなに恥ずかしく、照れくさい思いをするくらいなら、一万円でも、二万円でもお金を出してプレゼントを買って贈ったほうが、よっぽど気が楽だと思いましたが、読んでいるうちに、母に対して本当に心からの感謝の気持ちが、胸にこみ上げて涙が自然にあふれてきました。すると、先客のお見舞いで疲れ、目をつぶって聞いていた母が「ありがとう……一番嬉しいプレゼントや!」と喜んでくれました。その母の言葉で、その受講生は「今までのツライ出来事が清流に流されたようで気持ちがフッと楽になりました」と優しい笑顔で話してくれました。
はじめは目的意識もなく、ただ何と無く通い始めたメンタルの講座でしたが、本当に大きな収穫を得ることが出来ました…この帰りに車の中で思ったことは、このプレゼントは母のための手紙ではなく、自分のための手紙だったことに気づかされて、更に感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
僕もそのお話をきいて、彼女にこう語りました。カウンセリングをやっていると、亡くなった人の遺族の話を聴くことがあります。多くの遺族は後悔をしている。
「もっと、やってあげることはなかったか?」「もっと、治療の選択肢はなかったか?」と、でも、僕はいつか人は逝く者だと思っています。その時に残された者として、後悔や反省は、完全になくならないのかもしれない。でも、ほんの小さな「今、やれること」が、残された後に、自分自身が救われて癒される思い出になる。だから、まさに情けは人の為ならずと言いますが、まさに、人にやれる情けは、自分のためなのですね…と話し合いました。
また、ある男性の受講生は、アイ・メッセージで、父のことより、母について考えるようになりました。母は子どもの時から卓球が命の人で、高校も、就職も卓球で入ったくらいの女性でした。
母にとってエライ人は、政治家でも、経営者でもなく「愛ちゃんであり、かすみちゃん(石川佳純:愛ちゃん二世と呼ばれています)」なのです。70歳の今でも卓球を続けています。その母が三年前に父方の両親を見ていた長男が急死して、二男である父が99歳の祖父と、92歳の祖母の面倒を見ることになりました。
幸いに近くの 病院に入ることができたのですが、それからという二年間は、祖父母の面倒をみたのは父ではなく、卓球が命の母でした。毎日、病院に行き、洗濯物をひきとり、話し相手になり、一日も欠かさず顔を出したのです。しかも、母は義務感でやっている感じがなく、親戚に礼を言われても「病院が全部やってくれとうけん、私はなんもやっとらんとよ」と笑っていました。
それが、祖父母がなくなり、遺産がうちの父が少し多めに取ればいいとなった時、他の兄弟から弁護士を通じて、異議申し立ての手紙が送られて来ました。僕が一番許せなかったのは、母が祖父母の面倒をしっかりみていなかったと誹謗することも書かれていたこと。
ほとんど顔も病院に数度しか来なかった親戚の中で、自分の楽しみの卓球の時間をけずって、一日も欠かさず通いつめた母のことを考え、僕は「こっちも弁護士を立てて戦うばい!一銭たりとも遺産は渡さん!」と声を張り上げると、その声を聴きつけ、隣の部屋から母がおもむろにやって来て僕に言ったのです。
「あんた、なんごと大きな声ばだしようと⁈ 面倒は病院が看て、私はなんもしてないのは本当やない。私は卓球が出来れば幸せやけん、何言われてもいいと。私は何もしてないのは本当やない。私は卓球が出来れば幸せやけん、何言われてもいいと、それより、遺産、遺産言いよったらあんた病気するばい。そういう人を、お母さんは何人も知っとうちゃけんね!遺産が欲しいって言いようなら、他の人にやったらいいやないね!」
僕だけが頭に血が上り、とうの母に「卓球さえ出来ればそれでいい」と言われてしまうと、腹を立てていた自分がなんだか滑稽に感じました。そして、そのあと父と話し合い、遺産は兄弟で分け合うことにして、弁護士も立てずにすみました。もし、あの時に母の言葉が無かったら遺産は少し多く手に入れたかもしれませんが、大切な血のつながった、親戚との人間関係が完全になくなってしまっていたことでしょうと語ってくれました。
後編の講座で、衛藤先生が話してくれた、タルムードの聖典の中に書かれていた話が、母そのものだったのです。
「この世界に、神様はガッカリして亡ぼしたいと思っている。でも、神様がこの世界を滅ぼさないでいるには理由がある。それは、まだ生きている『聖なる人びと』が住んでいるからだと…。そして、その聖なる人びとは、政治家でもなく、有名人でもなく、テレビに出ているキラキラした人でもなく、人しれず、自分の世界を楽しみ、天上から、いただいた、この瞬間の出来事を感謝している人々…
その人々は、苦しみや、悲しみ、そして、わずかにある少しの楽しみを、しっかり味わって、感謝している人々…そんな人々が、この世界に住んでいるからこそ、神様は、この世界を亡ぼすことが出来ないでいるのだ」と言う話を聞いて、母を思い出しました。「誰にも認められるわけでもないのに、何十年も卓球をやって、帰っては家事をこなす母親の日常こそが崇高であったのだと思った」と彼は語ってくれました。
メンタルの後編で、幸せの本質の勉強するまでは「人より優れたい、いい車に乗りたい、有名になりたい」とばかり思っていて、母のような生き方や日常を、正直に言うと退屈な人びとと、感じていました。そのこり固まった自分の固定観念をハンマーで「ガツン」と殴られた気になったと…
そして、彼はご両親にこう伝えたそうです。
「お父さん、お母さんこれまで、何不自由なく育ててくれてありがとう。 これまでに、一度たりとも2人以外の子供になりたいと思ったことはないし、離れてひとりでいても、いつも誰かがそばにいてくれるような暖かい気持ちで過ごせたのも2人のおかげです。 だから、もし2人がこの世からいなくなったとしても、誰よりも愛された思い出があるので、寂しくありません。 そしてもし、生まれ変わることがあるとすれば、また2人の子供として産まれてきます」
そして、音楽療法のワークで思い出したのが、家の裏の旧国鉄の操車場の跡地で、母親と二人だけで遊んでいる場面でした。
広い広い赤土の空き地に、土管が3つだけあり、その土管に上って遊んでいる自分の姿を母親が、ただ微笑んで見ている場面だったのです。家族で行った、遊園地やレストランの楽しい思い出もある中で、何もない場所で母親と二人で遊んでいた瞬間が一番幸せだったと思い出したと…。そして、彼は、何気ない日常、海外やテーマパークで思い出をつくるよりも、好きな人がいて、その人が微笑んでくれることが一番の幸せであるとも、伝えてくれました。
そして、彼は奥様に「何で俺を選んだ?」と聞いたそうです。すると、奥様からステキなアメ・メッセージもいただいたそうです。
「あなたはいつも前向きで太陽みたいなの、少し暑い時もあるけど、女性はひまわりだから、あなたが雲に隠れると枯れてしまうわ」と言われたと…
ステキな奥様です。
こんなフィードバックを頂くと、僕はカウンセラーになったことに感謝する瞬間です。幸せは、本当に突然に降り注ぎます。
その頃は私は長男の事で悩んでいました。学校で離席が目立ち、友だちとのトラブルも増え、思ったことを言えない彼は、自分の中でイライラし、そのたまった感情が、何かのきっかけで爆発をする。顔つきまで変わってきた長男に戸惑っていました。
メンタルの体験の日も「学校に行かない」という子供と「行く、行かない」を言い合った時でした。
あの子の心からの叫びを聴くこともなく、私はいつも子供たちに「あーしなさい、こーしなさい」と、押しつけ「この子が問題です」と思っていたのです。ですから、先生が話される事例が「えっ、私」のこと。「そうだ私にトラブルの原因があるのかも」と思い受講しました。
数年前に離婚したことで「あの子は片親だからね」と言われないために、二人の子に必要以上に厳しく叱っていました。今思えばメンタルに通う前の私は、つねに怒った顔していたように思います。
「脳のカラクリ」の授業で、自分にムリをし過ぎると、脳が身体に指令を出して、病気を作りだす心身症の話を聞き、その頃の、体調不良で寝込んでしまったり、急性胃腸炎になったことも、重度の喘息発作も、脳からの説明で納得しました。
でも、その頃の私は「私だけがツライ、私だけが被害者」と思っていて、子供たちが、パニック発作で病院に運ばれる母親を見ながら、幼い心を痛めていたことすらも思いが及びませんでした。あの時に、おばあちゃんの家にあずけられ、子供たちは、どれだけ不安で淋しかったことでしょう。それを思うと今でも涙が出ます。当時の私は、そんな子供たちの心の叫びも、聴いてはいませんでした。
最初の講座で、聴き方秘密のテクニックを聞いていて「話してくれない子供も話してくれるでしょうか?」と先生に質問した時に、教室で僕に「話せなくなったのは、何か原因があるはずですから、まずは今まで『聴く』と言いながら、聴けていなかったことを子どもに謝って下さい。そして、『これからはどんな小さな事でも聴くから、よかったら話して欲しいの』と自己開示(アイ・メッセージ)してみて下さい」と言われて、その夜に謝ったそうです。「これからは何でも話してくれる?」すると、長男は「うん」と答えてくれたそうです。
ある日のこと、甘えることのできなくなった長男に「あきと(仮名)くんは、何でママに甘えんと?」と聞いてみたそうです。「だって、弟が甘えん坊やん」「そう、弟が甘えるけん、あきとくんが我慢してるんだ。ありがとう。でも、今日は二人だけやけん、いっぱい甘えていいとよ」と、この日は久しぶりに長男の微笑む顔をゆっくり見た気がしました。不思議と、この日から学校でのトラブルが減ってゆきました。
また、子供たちが毎日、朝準備が遅くなるのがイライラの元でした。いつものように「早くしなさい!早く!」と叱っていました。
講座でイライラの裏にあるのは「私の期待」が隠れていると学び、アイ・メッセージで伝えました。「あなた達が学校に行くのが遅いと、きっと、学校の先生や、友達が心配するんじゃないかと気になるし、あなた達が遅く出ると、ママも仕事に行くのが遅くなって仕事の人に怒られるんだ」すると子供達の口から「ママ、ごめんね。今からすぐに行くね。ママ、昨日も遅かったけど大丈夫やった?怒られた?」と意外な返事が返ってきました。それからは、朝から気持ちよく子供たちを見送ることができるようになったのだそうです。
そして、いま子供たちの流行りは「ブレイン・ストーミング」だそうです。
誰かに自分の望むことをやらそうとしないで、それぞれに意見を言い合うブレイン・ストーミング、誰かが言ったアイディアに批判しないで、どんなくだらない、実行不可能な意見でも「イイね!」と言って意見を出し合う。
そう「参加することに、意味がある」を学んで、家でも取り入れようと思って、子供たちが和太鼓を習い始めたことで「心配なこと、気をつけないといけないことを」ブレイン・ストーミングしたそうです。最初は、お母さんが「バチ(叩く棒)を持ったまま走っては危ない」「バチで人を叩いたら大ケガ」とかの問題点を出しました。「他に注意すること?」をみんなでドンドン出してと言うと、次男が答えたアイディアに、お母さんが「イイね、イイね」と言ったのが面白かったのか、次々とアイディアが子供たちから出てきたそうです。最初は「そんな意見あるわけないやん」と言っていた長男も、いつしか一緒になってアイディアを言ってくれました。それから子どもから「ブレスト」ではなく「イイね、イイね」しようと言ってくるそうです。
抑えつけて叱っていた、お母さんから、問題解決の協力者への格上げです。
メンタルに来る前は「問題だ」と感じていた、長男も最近は思ったことが言えるようになりました。でも、最後に「一番変わったのは私なのです」と…語ってくれました。
最近、毎日が楽しく過ごせています。何げない子供たちと過ごした一日を「今日も幸せだった」と思えるようになりました。最近は寝る時に子供たちに必ず伝えています。「今日一日、がんばってくれて、ありがとう」と…
アメリカ・インディアンのように感謝のアイ・メッセージを伝えるのだそうです。
ある夜に、子供たちに「生まれてくれて、ありがとう」と伝えました。すると次男が「ママ、はるきを生んでくれてありがとう」すると、長男も恥ずかしそうに「ママ、あきとを生んでくれてありがとう」と言ってくれたそうです。
それを聞いて、お母さんである修了生の女性は、涙が止まらなくなったそうです。「こんなママで、ゴメンね」と声にならないで泣いたと…
衛藤先生、今の私は本当に幸せです。いつか巣立っていく、子供たちに今のうちに感謝のアイ・メッセージをたくさん、伝えていきたいとも語ってくれました。 そして、キレイに巣立ちを見送る。
「幸せは外になく、今日という一日にいっぱい隠れているのですね」と僕は思いを語りました。「いつか、その、あたりまえの日常が、子供たちを守ってくれるプロテクションになりますね。あなたはステキなお母さんだ…」とも、僕は伝えました。