誰がために君は動くのか。
2019/04/21
僕は、こう質問する人は、その姿勢を変えないかぎり、今後もあまり儲からないだろうし、成功することはないのでは、と思えるのです。
儲けるためには、相手に「心地よさ」を提供できるか? この一点にあると言えます。
ですから正しくは「どうすれば人に喜んでもらえますか?」と質問することが「儲かる?」いや、「誰かから必要とされる」かの答えになると思えるのです。
就活は、何かをやりとげ、目的をかなえてくれるようなイキイキした学生を会社は雇うのです。
また、婚活も恋人に不快感を与える人は選ばれないでしょう。例えば、何を思っているのか分からない無口な人や、逆に、話はしたとしても相手に関心を示さないで、自分の自慢しか言わない人など、恋人候補にもならないでしょう。
顧客に不満足を感じさせてしまう、高級リゾートには誰もが二度と足を運びません。それは、どれだけ設備が最高であってもです。
成功しない人の共通点は、人に心地よさや、快適な時間を与えない人です。
「快適さ(Amenity)」の語源は、ラテン語でamoenitāsと呼ばれます。それは心の「美しい人が集まる場所」との意味があるのです。そのベースはギリシャ語でアネシス(ανεσιζ)「ホッとする心」の意味が隠れています。アメニティ空間とは、商業施設の充実ではなく、快適な時間をどれだけ提供できるかがカギとなります。
人をリラックスさせるパーソナリティや、おもてなしの精神のある場所には、人は集まります。それが、ビジネスの基本中の基本なのです。
梅田にグランフロント大阪が開業して、一週間で223万人が来たそうです。その経済効果1000億から1500億と言われています。
2020年の五輪誘致合戦で躍起になっている東京都の元・石原都知事も現・猪瀬都知事も五輪開催地域には3兆円の経済効果が見込めるからです。
でも、そこに人への「思いやりの精神」がなければ、一時的に人が集っても、長続きはしなくなるのです。
では、その「思いやり」「おもてなし」の心とは何か?
それは、目の前にいる人に、快適に過ごしてもらいたいという願いなのです。
メンタルの心理学の教室は、どのエリア(博多・大阪・名古屋・東京)でも、毎月一回体験講座があります。僕は100名以上の初参加者が教室に入って来られる時に「ワクワクして来るのか?」「不安で来るのか?」「何となく暇つぶしで来たのか?」「家族の中に、心の落ち込んでいる人がいて、その人を救える心理セラピーを知りたくて来たのか?」「自分のコミュニケーションに、かげりを感じたので学びに来たのか?」を想像します。そんな思いの違う人に対して、どんな「はじめまして!」の挨拶するのかで、出会いは決まります。
どんな、仲の良い親友も、人生を変えてくれた先輩でも、結婚相手であっても、最初からの親しい関係ではありません。最初は誰もが「はじめまして!」があり、誰なの?この人?どんな人なの?があるのです。
そして、この世界に、僕たちが誕生する時にも、最初は誰でも「はじめまして!」がスタートでした。
未知の者や世界に対しては、誰もが「不安」とか、未知な者への「ワクワク」な感覚を宿しています。
出逢いには、その両方の感情が隠れています。だから、僕が「はじめまして!」と、挨拶した時に、その人の笑顔やちょっとした目のそらし方で、その人の不安や期待感が垣間見えることがあります。ですから、出会いを僕は大切にしています。なぜなら、どんな人とも最初の出会いは印象に残りやすく、憶えていて後に、話題に必ずなったりしますから。
教室のエレベーターが開いた時に「資料を持って来られました?」と、必要事項をたずねる仕事モードのスタッフと「こんにちは、はじめまして」から始まって「道に迷われたのではないですか?」「走られたのではないですか?汗をかかれているから…」「来て、早々に申し訳ないですが、最初に確認させてもらっていいですか?」と、前置きして「まずは持参いただいた資料の確認なのですが」と相手のペースを待って声をかけるスタッフでは、体験に来られた第一印象が違ってしまいます。
「受付の列に並んで下さい!」と言っただけのスタッフと「すぐに受け付けいたしますから、ご安心下さい。こちらが受付のラインになっていますから」と参加者を誘導しながら「何か、分からないことないですか?」と笑顔で会話ができるスタッフでは、全然、メンタルの教室に対する印象が違ってきます。
そう、おもてなしの心とは、相手の立場に立って、ものを考えることのできるイマジネーションが必要だということです。
これは会話にも出てきます。
「この一言」を言うことが、相手がどんな思いになるのだろうか?
自信のない人に「あなた自信を持たなきゃ!」と責めてしまう人と「私ね、自信がなかったのね昔だけど…でね、こう考えたら、少しづつ自信が持て始めたことがあってね…」と、上手に自信のない人を導ける人もいます。
また、離婚した人に、結婚した人が「結婚は最高だよ!」キラキラして言われると妬んではいけないと思っても、妬んでしまうこともあるのかもしれません。
子どもを亡くした両親に、子育ての楽しさを語る人はいません。
これらも、相手への配慮の表れです。つねに相手の居心地のよさに気が向く人は、誰にも嫌われません。
東京の銀座のオフィスは180名ほどの人数が入ります。採光率がよく、光がよく入るように片側の壁一面にずらーっと窓があります。夏・冬は窓側と、通路側では室温の温度差が出ます。その時に「窓側と通路側では寒暖の差が激しくてしょうがなくて」と言うスタッフと「空調をコントロールして差を少なくしてみます!」とある中で努力しようとするスタッフ。
もっとも、仕事のできる人は「室温コントロールやカーテンでは、どうしても寒暖の差が出てしまいます。予算はかかりますが、空調管理と冷暖房の省エネの観点から、教室の日の当たる窓をペアガラス(二重ガラス)にしたら室温がコントロールできるかもしれません。それには費用がどれだけ発生して、費用対効果がどれだけあるのか調べてみます!」とアイディアを出してくるスタッフと「窓が大きいから、しょうがないですね」とスグにあきらめてしまうスタッフでは、受講生への思いやりが違います。
「教室が広いので、後ろの受講生は講師が見えなくて残念そうだね」と講師が言うと「遅れて来る受講生が悪いのです」と現状をあきらめてしまうスタッフと「どうでしょうか、後ろの会場のフロアーを上げて、オペラ座のテラス席のように、遅れた人も、特別感とワクワク感を感じてもらったらどうでしょう」と革新的なアイディアを出してくるメンバーでは、仕事の楽しさが全然違います。
それは、一にも二にも「参加者に喜んでいただきたい」との思いがイマジネーション(想像力)とイノベーション(革新力)の原動力なのです。
それには、先にあげた快適なエリア(場所)ではなく、マインド(おもてなしの心)が集約できなければ成功しません。
僕がそんな話をすると「それは、サービス精神ですか?」と言うスタッフがいます。それはサービスではありません。
「サービス」の語源はServus(奴隷)英語でやはり奴隷を表すSlave(奴隷)です。さらにそこから発展した英語でServitiude(苦役)の言葉にもなっています。スタッフは顧客に服従し、給仕をし、下役に甘んじた上下関係です。それでは、奉仕するスタッフをしていても楽しくはなく、やりがいのある仕事( work ) とは言えません。なぜなら、それは苦役がともなう労働 ( Labor )だからです。
2年前の東日本大震災の時に、舞浜でも液状化で被害がすごかったようです。ディズニーのキャスト(スタッフ)は、みずから考えて非難誘導をスムーズにしたことで、またもや新聞で話題になりました。そのディズニーリゾートでは、スタッフ達が、それぞれに現場で自分で考え、ゲスト(顧客)が、満足できるおもてなしの行動をスピーディにしています。そこには、マニュアル通りにする苦役は存在しません。
与えられたサービスをするのではなく、目の前にいる人に、喜んでもらいたいとの思いが、おもてなしの精神です。
そこには、心地よさを提供する側も、提供された側も、互いに満足を感じる関係があります。それがサービスではなくて「ホスピタリティ(Hospitality)」の精神なのです。
その語源はHospes ( 人を守る )です。旅人や巡礼者を手厚くもてなすことから生まれた言葉です。そこからHospital (病院) Hotel(ホテル)Hostess(ホステス)Host(ホスト)Hospice (ホスピス)も生まれています。
ハンバーガーショップに例えられる、マニュアルとして与えられた「おまたせしました」「かしこまりました」「ありがとうございました」と、固まったサービスではなく、その一瞬に、それぞれが最大限に、顧客の気持ちの側に立って「どうすれば、来たお客さまが快適に、ストレスなく楽しめるのか?」を考え、ストレスのないように配慮し、日夜考えているスタッフ集団や快適な空間に人は集うものです。
ホスピタリティとは、人が喜んでいる姿を見て、自分自身も心が豊かになり、それは上下関係、服従関係の苦役がともなう労働ではなく、自分自身が開放された仕事への喜びであり、自分という存在が、誰かの幸せのために、一瞬だけでも貢献できたというやりがいのある感覚なのです。
「情けは人の為ならず」と言いますが、人のために努力した行動は、他人の感謝と誰かの笑顔という、お金では得ることができない報酬となって自分に帰ってくるのです。
まさに、サービスを与える側とサービスをもらう側の境界線が失くなるトランス・パーソナル(個人の快感を超越する)帯域の経験の積み重ねが、人は「充実した人生を生きた!」と胸を張って宣言できる成幸者なのです。自分だけが幸せで、誰かが不幸な状態の成功は、長続きはしないし、本人も満足ある人生だったとは言えません。
ですから、ホンモノの成功者になりたければ、人の喜びを作る“製”幸者になりなさい。
そう、「何が儲かるか?」ではなく「どうすれば、人に喜こんでもらえる人間に成れますか?」が真に大切なのですよ。