身内だからこそ…

      2019/04/21

 「敵は本能寺に!」と言ったのは明智光秀でした。

 でも、一番の難敵(?)は身内なのかもしれません…

 今回の旅行で義父がいなくなって初めての北海道でした。

 4年ぶりの…

 僕は義理の母が、亡くなった義父を思い出さないよう毎年のように行っていたスキー場を今年は変えました。

 恒例のスキー場から別のスキー場へ。

 義父の代わりに実の娘である妻が、義理の母に付き合って過ごしてくれました。

 今回、妻は実の母に付き合って、気の長い彼女も、けっこう疲れていたようです。

 義理の母は、義父が亡くなって数年で心配性になり、なんでもセッカチに気ぜわしく行動しないと不安になっていました。

 亡くなった義父の代わりを「自分がしなくては…」と思っているように。

 孫たちが滑るゲレンデに向かう巡回バスにも、時間よりも早くバス停に向かおうとします。もう、孫たちは自分でホテルに帰れる年齢になっていても…

 孫である子供たちが食べたくないと言っても「口に何かを入れておかないと」と言ってムリにも食べさせようとする。もちろん、親切心から…。

ただ、幼くはない彼らは「自分のお腹が空いたかどうかは自分で分かっているから」と自分なりに義母に自己主張をする年頃…

 幼くはなくなってしまった、孫たちに戸惑う義理の母、なんでも早めに行動しなくてはと、寒いだけのバスの停留所で寒さに震えながら義理の母に付き合う妻。

 予約しているレストランに30分前に到着する母、それに「今、行っても待つだけだよ」と説得する妻。

 本当の親子だけにお互いに気がねがないのかもしれない。

 僕はスノボーのチャレンジで、痛みと打ち身でギクシャクして動きが悪く、自分の身体が思うように動けないから、年老いた義母の気持ちがよくわかった。

 思うようにならない身体は、できるだけ早めに、誰かに迷惑をかけないように気持ちだけが先走ってしまう。年老いた人々の取り越し苦労は、その人なりの精一杯の気遣いなのだろう。

 そして、なんでも言うことを受け入れていた可愛い孫たちの、小さな自己主張は、自分自身が必要とされなくなってゆくようで居場所を失うような義母の不安…。

 「トイレに行きなさい」「大丈夫だから!」

 「お腹が空いているはず」「まだ、朝ご飯から数時間しか経ってないよ」

 「寒いから、これを着て」「寒くないから、大丈夫だから」

 戸惑う義母の心を感じた僕は、義母がいない時に、子供たちに「おばあちゃんは、おじいちゃんがいなくなった分、お前たちのことが気になるのだから、お前たちが大人になって合わせてあげなきゃな」と説明し…

 義母には、二人きりになった時に

 「あいつら生意気で、僕の言うことにも逆らいます。ヤレヤレです…それが成長なのでしょうかねぇ(笑)」と成長過程にある子供たちの変化を語り、

 お義母さんだけに逆らっているのではないですよと義母を安心させようとする。

 それぞれの変化と戸惑い…愛情がかみ合わない瞬間。

 今日、奇しくも「実の母には感情的になってしまって」と名古屋校、受講生のセリフ。

 そうですね。

 僕は老人ホームで勉強しました。

 マダラで痴呆が入ると、実の子供でも時どき名前を忘れられる。これはかなり子供たちにはショックのようです。

 また、部屋の中のお財布が盗まれたと大騒ぎする。でも、現実は自分のオビの中に自分でシッカリと隠していて、そしてそのことを本人が忘れている。

 これには同じ部屋の人を疑っているようで、身内は同じ病室の人に気を遣う。だから「ここに持っているじゃないか!シッカリしろむかっ

 だから、心をシフトさせて、老人は「当たり」か、「ハズレ」かのくじ引きのようで楽しいと思うようにしてはどうでしょうか。

 そして、さらに痴呆老人はどんな空想的な物語も、瞬時に作れる能力の持ち主だと思うようにするのです。

 「カウンセラーの衛藤です」と言うと「そんなこと知っとる‼」と言われるし「オギンお婆ちゃん元気?」と、いつものように声をかけると「どちらさん?」と不思議な顔でたずねられる。

 これに腹を立てるのは、自分の顔は忘れないだろうと思うから悲しくなる。


 だから、テレビによくある「今日の運勢」のように「今日の運試しだ音譜」と思い、今日はアタリアップかハズレダウンかと思うと、今日は「オギンさん、はじめまして」なのか「衛藤です。お元気ですか」で通じるのか。これで今日の運勢も占える。

 もちろん、高齢者に対して「君は失礼だ!」と叱られるかもしれませんが、痴呆という深刻になりがちな日常を、ユニークに変化させて、互いに笑って過ごすには、道徳心だけでは解決できないのです。

 だから、僕は老人を「どんな話も瞬時に作れる、ストーリーテラー(語り部)なのだ」と思うようにしている。

 先ほどの話は、同じ病室にいる「笑顔の盗人」の話だし。

 「家に帰ったら住んでいた、自分のことをよく知る家政婦の話」もちろん、これは忘れられた息子のお嫁さんです。

 相手の変化に悲しみなげくのではなく、その変化に柔軟に対応することも大切なのです!

 そう、「敵は身内」にではなく、敵は親の変化に対応できない「自分自身」なのかもしれません。

 それは「親だから」であったり、「シッカリしていた人だったから」に固執していたり、「子供を忘れるはずがない」だったり、「自分を嫌った人だから、自分は復讐せねば気がすまない」などと…変化を受け入れるのは、相手ではなく、自分自身なのかもしれません。

 敵は「自分の中にある、自分自身の固定観念なのです!」



 追記:今週末にあるエル大阪での「てんつくマンとの講演会」のファシリテーターを務めてくださる千田 利幸さんはメンタル名古屋校の卒業生でもあります。http://ameblo.jp/yume-ouen-senda/
 ステキなお話を聞かせてくれるでしょう。さらに、お楽しみに音譜







日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき





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