いつも最大値の自分!
2019/04/21
ビジネスにおいても、家事においても、何か不完全感を持たれる人がおられます。
「何かもっと自分に出来たのではないか?」「仕事の依頼をもらっても、自分でよかったのか?」と不安になることがあります。仕事を終わらせても、 なんだか、すべてにおいて自信が持てないと…
僕も時より、そう思うことがあります。これは、すごく真面目な考え方だし、未来に反省を活かせるように思えます。しかし、この思考は少し危険な兆候になる時もあるのです。
うつ病の基本性格に不完全感があります。
何か行動したあとに、もっと、努力できたかもとか、もっと、準備できたかもとか、もっと、介護ができたかもしれないと、どんな時でも、後悔は残るものなのです。
そんな時には「今の自分の最大値だった」と自分自身で、心の中で完結させることが前を向くコツとして大切な考え方なのです。
「自分が今何をしたいか、やる事が分からない」と、相談される方がいます。しかし、その相談者には「今は、やる事が分からない」ということが、本人にはシッカリ分かっているのですから、それが、今の自分の最大値の気づきなのです。
夢を持て、目標を持て、自分の役目を探せと、周囲に言われると、そんなものがない自分を責める人がいます。とても、世間はノイジーなのです。そんな時は、これが今の自分の最大値だと思えばいいのです。「世の人は我を何とも言わば言え、我が成す事は、我のみぞ知る」の坂本龍馬の心境です。
そうやって、「かくあるべき何か」を手放せば、エネルギーはチャージされ、自然体で生きれば、これからやる事が見えてきます。そして、その時には最大値の力が不思議と出せるものです。
不登校の子どもやその家族も、学校に行けないのに「学校に行かねばならない」と悩み、自分たちを責め、心的エネルギーを放電して「学校に行く」 ことを考え過ぎて疲れはててしまいます。
そんな時は、僕は不登校の子ども達を、シッカリ遊ばせます。アリゾナのインディ アンの地に一緒に行ってもいいのです。
そうです、自然の中でシッカリ遊ばせるのです。それも、徹底的に、思いっきり遊ばせる。すると、遊ぶことにも子ども達は飽きてきます。それでも、 毎日 、遊びを続ける。すると学校に行きたいと言い出す不届き者が出て来るのです(笑)
「そろそろ学校に行きたい」などと、とんでもないことを言い出すのです。そんな時は「とんでもない、学校になんか行かなくてイイから」と、それでも遊びをシッカリ続けます。すると「お願いだから学校に行かせて」と恐ろしいことを言いだします。
「そんなことを言わないで遊ぼうよ!」と誘いかけると「本当に行きたい!」と哀願されるのです。
そうなると、子どもたちは嬉々として、学校に行き始めるのです。
働くことに疲れた人に、森田療法では入院してもらって、何もしない日々を過ごしてもらいます。すると「何もしないことに嫌気がさしはじめます」それでも、ひたすら何もさせません。入院患者は「何かしたい!このままでは退屈で死にそうだ」と訴えてくるのです。そこで、少しだけ何かをしてもらう。ベッド周囲の掃除でもいいのです。すると、小さな行動でも「楽しい!」と思えるようになります。それから、人と関わることも、少しずつでも行動し、何かを行動して、周囲に影響を与え、変化することは幸せだと思い始めます。そうなると退院となります。
今の現状を認めないで、それでも「もっと、もっと」となると、人は疲れて来るのです。だから、まずは今の自分が「最大値」なのです。
僕もいつもギリギリになってしまうことがあります。もっと早く準備すれば良いのにと、ため息まじりに反省します。でも「それでも帳尻が合うからギリギリになるんだろうなぁ」とも考えるのです。
その時は、これが「僕の最大値なのだろうなぁ」とウジウジや後悔を過去に捨て去るようにしています。
何かの、かくあるべき姿にこだわると、自分がダメに思えてきます。主婦が、掃除をしないことで自分を責めるより、時より「自分に英気を与えたのよ」とサボったほうが前向きな時もあるのです。
そんなことはない「自分はいつも努力をシッカリしなきゃ」と思う、一見、前向きな発想が時に、自分の心のコンディションによっては、後ろ向きになって自分自身を苦しめる時があるのです。
「自然は逆らわず!」で、前向きになる時は来ます。そうならないなら、それが 「今日の自分の最大値」なのです。
天気には晴れの時も、曇りの時もあります。それが今日の天気です。
雨の日に雨を楽しまないで、晴れを望めば、一日中憂うつな気分になりますからね。人生の、今日の自分の天気を楽しみましょう。