「今、ここ」を抱きしめよう!
2019/04/21
アメリカで学んでいた時のこと「あなたの命が、あと余命、三日しかなければ?」と思って遺書を書けと参加者に課題が出た。
ある人は「あの傷つけた友人に心から謝る」と書き、 家出して親と絶縁状態にある仲間は「いろいろあったけど、やっぱり自分を産んでくれて、ありがとう」と伝えると…。中には「好きな人に愛を告げる。本当に心から好きでした」と、もう三日だったらフラれてもかまわない。このまま死ぬなんて嫌だから…と、感動的な発言が続きました。 その時の指導の教授が「君たちに一つたずねていいですか?」と前置きした後で…
「君たちは三日あれば出来ることをどうして一生かけてしないのですか?」
教室中はショックでシーンと静まりかえった…
そして、教授は「今日の授業は以上!」と去って行った。
当然、それぞれの学生が静かに自分を見つめる時間になった…
タイム・バジェット(時間予算)の人生をシッカリ生きるには、この一瞬のシーンも「あっ!」と言う間に過去に変わって行き、もう戻っては来ないことを自覚することです。
過去に、自分を捨てたカレシを恨んでいる人も、親が愛してくれなかったことを恨んで「過去の自分探し」に時間を費やしている人も同じ…
カウンセリングをしていて、人生が止まった人の共通点は、過去に囚われていて、数年先、自分がどうなっていたいかを考えない。
将来のために、今、何を学ぶことが必要かを考えてはいない。ただ、生きることの迷子になっていて、結果、キラキラした成功のセミナーにお金を使い、華麗なる世界に憧れて、勧誘とその仲間づくりに時間を費やしてしまう。
学校に遅刻する常連学生も、何時に家を出たら遅刻しないで学校に行かれるかがわからない。それは頭が悪いわけではなく、将来のなりたい自己イメージがないから「時間」の使い方を誤る。
ですから、過去に決別し、相談者が未来を語りだすとカウンセリングは終結の合図になります。
もちろん「誰もが未来のことなどわからないだろう!」と言う人もいるでしょう。
ただ一つだけ、誰にもが約束されている未来がある…
それは、
いつかは、誰もが「死」を迎えるということ…。
それが明日かもしれない…
だから、「今日」を人生の集大成の時間にしなければならない。
そのためにも「今」目の前に出会っている人の笑顔、景色、自分自身の鼓動の一つ一つを味わいつくさねばならない!
誰もが、若かった両親の写真を見て、不思議な気持ちになることがあります。
僕の場合は、両親が離婚していて、母はすでにこの世にはいない。
昔見た両親の若い頃の写真…
今でも不思議に憶えている。
若い二人の笑顔には、かげりも嘘もなく輝いていた。
その時に気づいた感覚「その瞬間の愛は、永遠なのだ!」と…
愛はどこに行くの⁇
愛は「その瞬間の中に永遠にとどまっている」どこにも行きはしない。写真の中にも、思い出の中にも…
そう思ってから、日々の授業も、いつものスタッフとの語らいも、家族との何気ない日常も、いつか終わるであろう子育ても…いつか、すべては過去になる。そう意識して過ごし始めた。
そんなタイム・バジェット感覚を意識するようになってからは、人生の生きかたが定まったように思う
今年から東京の大学に進学した、娘から思いがけず、父の日にメールが来た
日々の学生生活に悪戦苦闘していると妻から聞いて、彼女に出した陰の応援メールへのお礼と「毎日忙しくて大変やけど、頑張ります」の少し大阪弁の入った短いメール。
父の日を、彼女が憶えていたのは小学校低学年の時以来…
その時に、もらったティッシュペーパー入れと、短い手紙。
君は知らないだろうけど、今でもそれは僕の宝物…。たとえ、何も君からプレゼントも、言葉がなくても…僕はいつも、平気でした。
君が生まれて来て今までの、それは沢山の、たくさんの思い出が、いつも心の風景にあるから…それだけで、父親って存在は大丈夫なんだよ。
誰もが、今、この瞬間が、いつかは懐かしい瞬間になります。
今日のあなたが、誰かと過ごす瞬間が、誰がなんと言おうと、永遠へと、すべてが過去に変わって行きます。
だから「今、ここ」の瞬間のすべてを心からハグしよう!