時をかける…
2019/04/21
中島みゆきさんの「時代」の歌詞です。
よく心理学では「今、ここ」を強調します。けれど「今」が苦しくて逃げ出したい時は誰にでもあるものです。
そんな時にどうするか⁈ それは「時をかける少女」になるのです。
僕の尊敬する心理学の教授は、昭和二十年八月十五日の終戦時に、陸軍幼年学校にいたそうです。多くの国民が、玉音放送で、はじめて直接天皇の声を聴き、敗戦を知らされました。それからの日本は大混乱の嵐。
その教授の話では「徹底的にアメリカと戦う」と言い切る軍人、いさぎよく自決した将校たちも少なくなかったそうです。なかには、食料や衣類をトラックで自宅に運んだ盗っ人のような上官もいたそうです。
教授のいた陸軍幼年学校では、それほどの混乱はなかったそうですが、アメリカ軍が上陸して来た場合は、将校生徒には、どのような、ひどい仕打ちが待っているかわからないという不安が漂っていました。
上官の中には「俺たちは刑務所入りかもしれない。しかし、君たちには刑務所入りをさせたくはない。即刻、帰省地に帰れ ‼︎ そして、軍の学校にいたことはあまり口にするな!」と教えてくれた優しい上官もいた。
事実、多くの生徒は終戦後二、三週間以内に、大部分の生徒が学校を離れた。
ところが、その嵐のような不安と危機感が漂っている時に、大学卒の学徒兵の中には、目の輝きを失わない人もいて、それはそれは悠々としていた。
「君たち、すまんが辞書をくれないか。俺は辞書を空襲で焼いてしまったんだ。俺は、これからも東京にとどまって勉強するつもりだ!」と言った。もうすぐ赤鬼のように血も涙もない、アメリカ軍が上陸してくるというのに、逃げも隠れもしないで勉強するとは
その学徒兵が言うには、今から九年もすれば、日本はもとの状態に戻る、これからは学問の時代がくる。君たちも地方に逃げないで、勉強を続けろ、と。しかし、当時、この学徒兵の言葉に耳をかす者はいなかった。いや、混乱の中で気がおかしくなったと、この学徒兵を笑う者さえいた。
教授にも、この話は別世界の考え方だった。そして、自分の辞書をよろこんで提供した。
ところが、時代の流れは学徒兵の予測通りに進んだ。
なぜ、あの学徒兵は、あの混乱の中にあっても、その混乱の嵐に巻き込まれなかったのか!「それは、心のパニックから抜け出して、時間(歴史)の上から、人生を眺めていたからなのだろう」と、教授はその話をしめくくられた。
僕はこの教授をモデリングして、悲しみ、苦しみ、落ち込みがあった場合には「この苦しみ、孤独は、自分の人生にどういう意味があるのだろう」
いつしか、人生の外に出て、考えるのがクセになった。一時的な、時をかける少女(いや、おやじ?)
そして、インディアンの居住地で考えたことは、いつか、年老いた時に「たくさんの苦境を乗り越え、その知恵をいっぱい、心の貯蔵庫に蓄えたインディアンの長老のようになるための、必要な経験だ‼︎」と。
そう、人生の外にジャンプして、外から今ある心の混乱を眺める方法です。
過ぎ去らない嵐はないのだから…