心の中にあるアルバム

      2019/04/21

 「胡蝶の夢」という故事があります。中国の荘周という人が、キレイな蝶になった夢を見て、あまりにもリアルだったので、もしかして今、人として生きている自分こそが、蝶が見ている夢なのかもしれないと、夢と現実の区別ができなくなった例えです。


 信長が「人間の一生は、夢幻のごとくなり」と歌いました。現実と夢は、過ぎてしまえば夢のまた夢なのかもしれません。夢で見たことも振り返ると思い出と同じならば、作り変えられるのかもしれません。


 母の死の病床で、僕が会話に窮して「お父さんと別れてしまったことは、僕は恨んでいないよ。よかったんだよ。あのお父さんだったら、お母さんも大変だっただろうから」と僕が言うと、母は「それは違う。お互いに若かったのよ。今ならあの人の気持ちもわかる。もっと、うまくやれるよ。若い時はお互いに自分の思いが強くてね…」


 「それにね。お父さんはお前を愛していたのよ。のぶゆきが赤ちゃんの時に、あなたのオシメを変える時に、お父さんの顔にオシッコがかかったの。そしたら、あの人は『坊主にオシッコかけられた!』って笑ったのよ」僕はにわかに信じられなかった。

 「そんな写真があったはずよ」とポツリと語った。


 僕はその頃の写真を、実家に帰ったおりに探した…でも、父が僕のオシメを替えている写真も、当然、オシッコかけられ、笑った父の写真も存在しなかった。


 母親の周囲の人に聞いても、そんなことは聞いたことも無いと言われた…旅立つ前に父子の関係を深めるための母の優しいウソ ?!


 でも、それ以来、僕の心のアルバムには、父が僕にオシッコかけられて、笑っている写真が飾られている。それが僕の原風景となった。



 事実がどうであったかではなく、自分自身がどう信じたいかなのだと思う。


 そう、あなたは誰かに確実に愛された!










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