孤独の「行間」を楽しむ。

      2019/04/21

 行間を読む。

 文章の中に作者の思いや、その背景にある色や香りを感じ取る能力。

 この行間を読み解く能力を伸ばすには、本やブログからの学びだけでは、その能力を鍛えることは難しいのです。

 今の時代はモバイル中心の社会です。ここ数年で、人の生活が大きくオンライン社会へと変わりました。まず、朝起きた瞬間から、ベッドの枕元にあるモバイルに手をやる人々が増えています。まるで、ポケットに入るモバイルに支配されている人を街でよく見かけます。

 ホームで電車を待っている時でも、信号待ちでも、誰かがテーブルから席を立った、少しの時間も、沈黙や独りの孤独という不安に耐えかねて、バックやポケットの中にある、小さなモバイルに手をのばす。

 ある種のモバイル中毒依存です。

 そして、会議や仲間との集まりでも、自分に興味があることには集中するけど、自分に興味がないことには、集中できなくなり、モバイルに手をやる人びとが増えています。

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 これを「ふれあい中毒症候群」と呼びます。

 より自分に関係することだけに興味を感じ、自分に関係がないと判断したら、すぐに退屈を感じてしまう若者が増えています。

 テレビの早回し機能から、CMスキップ機能なども、その一つです。YouTubeも、自分の観たい刺激だけを抜き出します。ネット通販も、購入した品物に関連する情報をくり返し送り続けます。

 まさに、美味しいとこを、欲しいものだけ、味わいたいだけ、味わおうとする感覚がネット世界に蔓延しています。それ以外はすべて無関心、やはりこれも現代病の一つです。

 僕がカウンセリングしてきた深刻な相談者は、意味もなく孤独で、淋しいと訴える人が後をたちません。

 相談者の多くは、孤独で淋しい、だから自分に関連する情報がないかと、小さなモバイルにしがみつく…孤独が良くないと思っているから、同じような仲間をネット環境で探してつながりたいと願う。でも、複数に送られた情報は、自分だけに送られたものではない。さらに孤独とつながり飢えを感じる。

 孤独だから、Facebook のページ、 Twitterフィードに夢中になる。そして「いいね」があると「自分に関係を持ってくれた」と一時的に安心します。でも、それは海水と同じで、さらにノドの渇きを増すことにつながります。孤独だから、ネットでの関係にしがみつく。それは、さらに孤独を深める悪循環につながります。

 なぜ孤独を深めるのか?

 Eメールでも、メッセージでも、ツイートの文章でも、編集ができるから、すこし本当の自分からはズラすことが出来る。そう、スマートな自分を作り込める。間違った文章を送ったり、感情的になることもない。多くの人たちは、それを便利なことだと言います。僕もそれには同感です。

 でも、真実の人間関係は、言い間違えたり、言葉につまったり、 ためらったり、 本音がポロリと出たりするところに、 本当のその人が表れるのです。

 一瞬の言いごもり、その瞬間、不安から「えっ?」と思わず顔に出たり、共感から深くうなづいたり、吐息にいたる。そんなコミュニケーションの「行間」までを削除し、修正すれば、その人は、その人と少しだけ違った人物になってしまいます。

 つまり、モバイルでは、よそ行きの自分を装い、より自分を洗練し、自分をデザインした姿で、たくさんの仲間と日々出会っています。

 だから、真実の自分が「いいね」されたのではなく、微妙に削り、痩身した自分のイメージが、誰かにツイートされたのです。だからこそ、いくら多くの人とつながっても、本当の自分とは、誰ともつながっていないように感じ「より孤独で淋しくなる」という悪循環に陥って行くのです。

 本物の人との真実の出会いは、味覚の相乗効果に見られる感覚と同じなのです。その旬の季節に、電車や車で、その名産地まで足をのばし、歴史ある店のテーブルに座り、職人がこだわった、微妙なさじ加減、器の温度、最高のタイミングで、名物の味をいただくから、老舗の味に、深い感動が得られるのだと、僕は思っています。そう「出かける」という、プロセスに人生も味わいがあるのです。

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 今は冷凍の宅急便で、その老舗の味は、かんたんに食すことはできます。

 でも、見慣れたキッチンで、いつも別の料理を出している食器で、食べてみても、老舗の味とは、なぜだか少しズレが生じる。奥深い味わいは得られないのです。

 たくさんの泥土の中から、見い出された宝石だから人は感動するのです。簡単に宝石やゴールドが手に入るなら、人は価値を感じないのです。

 YouTubeは便利だけど、昔のように偶然につけたテレビの中に、憧れの芸能人が映っていた、という偶然が、出会いの感動をサラに高めるのです。 見たいものを、カンタンに見たいだけ見ると、感動も鈍化して、その芸能人・映画への感動が、色あせる周期も早いのです。

 レコード店で買ったレコードをすり切れるまで聴いていた時代と違って、ダウンロードで手に入れた曲に、飽きてしまう気分の半減期は早いのです。人の感覚はそれほど、不思議なものなのです。

 仕事と愛する人との運命的な出会いにも同じことが言えます。

 ユング博士は、偶然の出会いには、意図をこえた、意味が隠れているとシンクロニシティ論で説明しています。

 たくさんの情報にアクセスしながら、真実の出逢いが少ない時代。たくさんの人とつながれば、つながるほど、本当の自分とつながっていない、淋しさが増してゆく時代。

 だから、このブログの内容や、本で勉強したとしても、何かが足りない。多くのメンタルの参加者が言っているYouTubeの画像には、ライブ感⁇ 何か?が抜けていると…。

 それは、先ほどふれた味覚の効果と同じで、一週間に一回、メンタルの教室に足を運び、そこにある臨場感を味わい、その心地よい緊張と、その場の雰囲気と、知らないメンバーとの出逢いが、多くの参加者を変化させる「スイッチ」になる。

 ステキな出会いも、自分の一生の仕事も、ワクワクする未来も 、日々過ごしている小さな世界では出会わない。勇気を出して新しい世界に一歩前にふみ出し、歩き始めた先に、大切な出逢いがある。さらに、近い人より、遠い世界の人に、人生を成功に導くカギがあります。

 カウンセリングをしていて、一番結婚に失敗するパターンの人は「みんなが結婚し始めて、椅子取りゲームみたいにあわてて、身近にいた人の椅子に座ったの。それが間違いの始まり…」と後悔するケースが多い。そう、自分の視野を広げるための、努力をおしんで、身近な人の手を引っぱったケースです。

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 未来が見えないのは、自分の視野が狭まっているからです。いつもの生活のパターンから一歩出て、なるべく色んな考え方の人と出会う。そこで、心から愛する人と出逢ったり、一般公募していないカウンセラーの仕事にありつけたりもします。

 そして、未来のことは誰も分からないけど、自分の「心のスイッチ」を知ることが、ワクワクする未来を作るキッカケになることだけは確かです。

 一歩踏み出した受講生は、教室で多くの仲間と出会い、爆発的に変わってゆく…

 孤独で、淋しいなら、いつものネット中心の生活のパターンを変えること。

 人と人との「行間」を身につけるコツは、すなわち空気を読むには、修正も削除もできない、めんどうな人間関係にも身を置いてこそ、本当の、孤独、淋しさから脱出できるバランス感覚がある人間に変身できるのです。

 若いうちは仲のよい友だちと過ごすことが多くなります。それは、意見が一致して、楽しいからです。同じ意見や、同じような話し言葉だと、安心感もあります。でも、研究データでは「仕事」や「結婚」で成功するグループは、若い時代に、たくさんの考えの違う仲間と出会い、時には深く語り合い、好き嫌いしないで遠い遠い人間関係までも人脈を広げたグループに多かったと、心理学の統計調査では言われています。

 ですから、どんなにオンラインの世界の中で人脈が広がり、自分の姿を編集し、洗練させ、家の中にいてネット上でスマートに演じても「こいつのために一肌脱ごう、応援しよう ‼︎」と思ってくれる人はモバイル内には現れません。

 チャンスは、あなたが興味のない会議の時間の中に存在しています。あなたの興味のない話に対して、あなたが微笑えんで一生懸命に聴いてくれるあなたの姿を見て、多くの人は、あなたの応援団になるのです。

 はげしい夏と、きびしい冬の「行間」にある秋の季節に、やさしい陽の光や、静かに流れる音に耳を傾ける孤独を楽しみましょう。

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 カフェ・テラスで、目の前にいた人が「ちょっと…」と席を外し、独りポツン…と、その場に、取り残されても、孤独から逃れるためにモバイルに、手を伸ばすクセを、時には止めてみませんか。孤独という「行間」の中で、誰かの温かさを大切に思う。だから、モバイル内のコミュニケーションよりも、目の前の人との時間を大切に扱おうとする。これは意味のある孤独という「行間」なのです。

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 独りの沈黙という時の「行間」の中に、すこし席を立って、しばらくすれば戻ってくるであろう誰かの、先ほど話していた会話の意味や、視線のゆくえ、吐息、口ごもって言えなかった心のありかを、理解しようとする姿勢の中に、空気が読める人、「行間」を読める人へと、成長するトレーニングが隠くされています。

 少なくても、目の前にいる人の、心の説明文は、手のひらのモバイルの中には隠されていないのだから。




日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき










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