人生はオセロではない。

      2019/04/21

 恋愛をするのが怖いという人がいます。

 悲しい思いをしたくないからだと言う。

 過去の失敗を考えて怖気づくのだとも…

 「でも、楽しいこともあったのでは?」と聞くと、最初は幸せだったけど、いつも悲しい結果に終わるから恋愛に臆病になって。

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 そうなんだろうなぁと思いながら、僕は考える。

 人生を考えてみると、波のようにピーク(頂上)もあれば、ボトム(谷)もあると思う。

 谷にある悲しみを恐れている人には、至高の幸せも訪れないのです。

 悲観的に感じられるかもしれないですが、出会いと、別れはセットなのだと僕は思っています。

 どんなに愛しあった夫婦でも死が二人を分かつ時があります。

 妻という役割は、夫の他界で終わります。親になることも、子供のひとり立ちで、ほぼ終わってしまいます。

 部長という役割も、定年退職で終わってしまうのです。

 人生は、いつもピークも、ボトムがつきものなのです。

 結果、別れることになったから、出会わなければよかったと言う人は、オセロのように最後が黒だと、出会った時の感動も、楽しかった瞬間の想い出の白の部分も、すべて黒にしてしまうのです。

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 限られた人生の中で、それは損な生き方だと思うのです。最後の一枚が黒なら、すべてが黒に変わってしまうのですから。

 「親から愛されなかった…」と言う人もそうです。人間は赤ちゃんの時に、ジャングルに放り出されると、三日も生きれないでしょう。オオカミに育てられないかぎり(笑)

 人は一度叩かれたら、三度は抱かれているのです。でも、叩かれた記憶は残りやすく、抱かれた記憶は忘れやすいものです。

 でも、黒の部分や悲しいことだけに、クローズアップして生きていると、自分の人生は価値がないものになってしまいます。

 人生はオセロではありません。白はやっぱり白なんです。宝くじを買って、はずれた時に「結果が出るまで、ワクワクとした、幸せの時間を過ごせた」と思う人は幸福な人です。「外れたから買わなきゃよかった」と思う人は、人生を楽しめないタイプなのです。

 白は白として、幸せだったと思える人は成幸者です。

 白があっても、終わりや結果が黒だとオール黒だと思ってしまう人は《結果至上主義》なのです。

 あの学校に合格出来なかったから、勉強しなければよかった。
 金メダルを獲得できなきゃ練習した日々はバカみたい。
 誰からも見てもらえなければ、ゴミを拾っても意味がない。

 そして、愛してくれなければ、愛さなければよかったになります。

 人生を悲しいことと、楽しかったことを、シッカリと分けて、オセロのように全部[白]とか全部[黒]とかに塗りつぶさないで、白を楽しめることが必要です。

 人生も、幸せの瞬間と、不幸な瞬間を分けるバランのような物が必要なようです。

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 悲しみが、楽しかった日々まで侵食しないように味わいましょう‼











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