自分のリミッターをはずせ。

      2019/04/21

 毎晩のように、オリンピックに興奮して僕は寝不足が続いています。コンマ数秒の、瞬間の中にドラマがあるのですから。

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 僕の知り合いのスポーツ生理学者によると、ある薬を使って、筋肉の温度を2度あげると、筋肉の収縮力は20パーセント早まるそうです。

 ならば、100mを10秒で走れる人なら、同じコンディションで100メートルを8秒で走れることになります。

 これではスポーツ競技は、ただ早く走れば良いと言うことになり、人間の競技ではありません。速く走れることが目的ならば、足に車を付ければ良いし、身体にエンジンを付ければよいのです。

 スポーツの感動とは、記録ではなく、そこに至るまでのプロセスなのです。

 初飛行をしたライト兄弟が、数十メートル飛んだ長さの数万倍の距離を、僕は一週間で飛行機の移動によって飛んでいます。でも、飛行機の中でライト兄弟の数万倍の感動と興奮を味わっているかと言えば、僕は飛行機の中で、ただ寝ていたりします。

 42.195キロの距離を、通勤で通っている人もたくさんいます。でも、その人達が、会社に到着するたびに、毎日感動の涙を流しているコトはないのです。

 スポーツの中にある感動は、距離でも記録でもありません。

 弱い人間が、自分の限界を乗り越えて
挑戦するからこそ、人は感動を共有するのです。

 オリンピックでも、国際大会でも、そこに至るまでの練習の中で、汗と涙にまみれた、アスリートの闘いがある。

 いくたびも逃げ出したいと思ったり、自信を失ったりしたことでしょう。

 それでも、苦しい日々の中で、自分自身やコーチ、そして応援してくれる仲間を信じるマインドに立ち戻ってくる。

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 そのようなドラマが、オリンピックのコンマ数秒の中に、たたみ込まれているからこそ、人は感動するのです。

 「たかが、コンマ数秒、縮めるのにあの人たち、バカみたい」と笑い飛ばす人たちには、そのコンマ数秒の中に、泣けるような感動が幾重にも隠れていることには気づかない。

 人は、自分の限界を超えた時に、自分の世界が広がるのです。

 アスリートは、その自分の限界を広げる戦いを、目に見える形で表現しています。

 「心」にも同じコトが言えます。

 人間関係の中で、めんどくさくなると逃げ出したり、辞めたり、逆ギレする人は、その限界を越えることができません。

 それが、その人の限界値なのです。

 だから同じようなシチュエーションになると「いつもこんな感じで終わるんだよね」と本人も、あきらめてしまう。

 途中で本人も「後味は、いつもこんな虚しい感じになる」と空虚な結論までも、すでにウスウスと気づいています。それでも同じコトを続けてしまう。

 それを心理学では、人生脚本のゲームと呼びます。

 心理ゲームの特徴は、同じパターンをくり返して、最後は後味の悪さだけが残るのが特徴です。

 人は誰もがみな、ゲームに巻き込まれています。それは、誰もが無意識の世界ですから、意識しないと気づけません。

 「自分なんか価値がないから」という誰かのゲームに乗っかると、こちら側が「そんなことないよ」という、お助けゲームにのせられます。

 このゲームは「前向きになろうよ」と、こちら側が元気づけても、落ち込むことで、かまってもらうことが、その人の無意識の目的になっているので、その人を勇気づけようとすればするほど「どうせ私なんか」ダウンと落ち込み続けるという戦略を取り続けます。

 それは、落ち込むことで、誰かにかまってもらうという、無意識の目的が達成するからです。

 個人ブログなどで見られるバトルも、同じです。

 ブログに対して「こんなのつまらない」と言われる批判ゲームに乗せられると、こちら側は「詳しく説明させてください」というゲームに入ります。

 「それでも、つまらない」と言われると「あなたには解らないだけだ」むかっと売り言葉に買い言葉で、怒りの炎は燃え上がってメラメラしまいます。もともと攻撃することで、自分を認めさせようと思っている人に、まともに理解してもらうのは難しいことです。

 人はそのようにして、マイナスな関わりでも誰かにかまってもらおうとします。それほどに人は人と関わりたいのです。でも心理ゲームのような、ゆがんだ人との関わりは、最後は「いつも私はこうなのだから…」と気分は落ち込みます。

 最後は「自分は、こうだから(性格)」と自分で作ったワク(枠)の中に逃げ込んでしまい、新しい自分になることを拒みます。

 自分自身に確信があるための「自分は自分」ではなく、ただ意地になって自分を守ろうとしているだけなのです。

 そして、その枠を認めてくれる仲間だけの意見を聞こうとします。

 だから、人生に変化が見られない。

 逃げ、現状維持、攻撃、落ち込みばかりの人生で終わってしまいます。

 脚本は意識して変化させないと、くり返されます。

 競泳の途中で、もうワン・ストローク誰よりも速くと思っても「自分はムリだ。ここが限界」と思ってしまうと記録は伸びません。

 そこが、その人のコンフォートゾーン(自己の限界値)なのです。

 そして、自分はムリだからと自分の限界を決めてしまいます。

 結果、人生の中で同じコトを繰り返す。そして、何よりも逃げクセがつきます。

 その限界を越えたければ、いつもと同じ脚本のパターンになりそうな時に、人生脚本だと気づき、自ら作り出した、自分のコンフォートゾーンから飛び出すしか変化は望めないものです。

 いつもよりも限界のリミットをはずす行動をする。

 筋トレのバーベル上げも、手がブルブルときて、あと一回で筋肉の線維をブチと切る! それが次に負けない太い筋肉を再生してくれます。

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 もうダメと思ったらオリンピック選手を見習って「よし!」あと一歩、あとワン・ストローク速く、もう一踏ん張り、違う自分に挑戦してみるか‼

 その先に、本物の笑顔で生きている、あなたに出会えるかもしれません。

 負けるな、あ・な・た!



日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき




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