蓄財の人間関係を…

      2019/04/21

 蓄財と散財。

 蓄財とは、その言葉通り財産を貯めること。散財は、その逆の意味です。

 ただし、財産とは、お金のことだけではありません。
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 人間関係も大切な財産です。

 人には、自分の持っていない才能がたくさんあります。その他人にある才能と自分を比較して落ち込むのは意味のないことです。

 人生の時間は、限られています。

 それぞれの人生の中で、得られた才能や能力を、羨ましがるよりも、自分の友人、知人という形で、ストックすることも財産になります。

 知り合いや友人は、お金には変えられない蓄財です。

 まさに人財なのです。

 一時的に知り合っても、蓄財にならず、人間関係が長続きしない人がいます。

 人は興味の対象がクルクルと変わりますから、過ぎ去ってみたら「昔の知人かな?」の感覚は、あっても大切な人にはなりません。

 だから「誰々さんと知り合いなんでしょう」と言われても、それほどの知人でないと「誰々さんって??」と、曖昧な返答になってしまう。

 人は忘れてしまう動物です。

 だから、人間関係の蓄財にはマメさが必要なのです。

 そう知人へのメンテナンスです。
 ハガキを書いたり、時よりメールをいれたりと…

 そして、人という蓄財を貯めるためには、心のワクを広げる必要があります。

 人はそれぞれに「かくあるべき」と、いう「枠(ワク)」があります。

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 論理療法という心理セラピーでは、それをビリーフと言います。

 論理療法は、すべての悩みはビリーフを固定させることにあると言います。

 不登校の本人も、その子の家族も苦しむのは「子供は学校に行くべき」という常識の「ワク」があるからです。
 「学校に行かないのは問題児である」
 「不登校は、家庭に問題があるからだ」
 そのワクのせいです。

 もし「学校には行きたいものだけが行けばいい」
 「天才たちは統計的に、学校時代は問題児だった」
 「学校に行きたくないと自己主張できるのは、自分らしさがあるからだ」

 と、今の社会に新しい常識があれば不登校児は悩まないのです。

 恋人とのことで悩むのは、
 「いつも自分のことを一番に考えるべきだ」
 「休日は、一緒に過ごさねばならない」
 「誕生日を忘れるのは、愛がないからだ」と、恋人に対する自分の常識に、こだわるからケンカになるのです。

 だから、恋人に対する心のワクが変わればケンカにはならないのです。

 「恋は盲目と言うけれど、盲目になれる人に、出会っただけでも、価値がある」
 「何もない退屈な人生より、恋人と言える人がいるだけ幸せ」
 「一生逢えないなら、ケンカしながらでも、逢えるだけ幸せかもしれない」

 こんなワクがあると、恋人とのケンカが減るかもしれません。

 僕たちの悩みの源泉は、すべての現実を、自分のワクの中に押し込めようとするところにあります。

 自分は出世しなければダメ人間だ。
 子供がいない夫婦は淋しい。
 親は子供を愛すべきでしょ。
 部下は一度言われたら理解すべき。
 妻は家庭をキレイにするのが当然。

 あげくに「人生とは、自分の望むような人生になるべき‼」

 いくら「べき、べき」と叫んでも、この世界は自分の都合よくデザインされていません。

 人は思うようにならない人生の中で、腐らないで、学び、成長するものかもしれません。

 自分のワクに、こだわり過ぎると、人間関係が狭くなって蓄財ができません。
 
 もちろん「そこまでして人間関係を広げる必要はない」という人も、いるかもしれません。

 そのような人は、人間関係の蓄財が少ないのです。

 若いうちは、新しい出会いが、次から次へとやって来ます…。

 が、ある時期からは、意識しないと(新しい何かに挑戦など…)出会いは確実に減ってゆきます。

 そうなった時にステキな出会いをストックできなかった人の、晩年は憐れです。

 ましてや、自分には無い能力を持っている仲間をストックできないのは、お金を失うよりも、ムダ遣いの生き方かもしれません。






日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき



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