究極の自己受容。
2019/04/21
「それは自分を甘やかして、堕落につながらないですか?」と、質問されます。
そうなのです。
なに一つ努力も、チャレンジもしないで「自分はスゴイ人間だ」と思っている人は、ナルシストです。
それは自分を勘違いして、甘やかしてしいることになるのかもしれません。
やはり元気があるなら、人は新しいことに挑戦して、努力したほうがいいのです。
いま、元気があるなら、と僕が言ったのは「いつも、自分は完璧でなければ」とか「絶対に成功しなければ」と自分を追い込んでいる人は、強迫的です。
そんな強迫神経症の人は、いつも、何かに責められて、追われている気分になります。
そう、「成功しない自分はダメ」と自分で自分を責めているのです。
だから、「新しいことにチャレンジすることや努力することも」TPO( T(時間)P(場所)O(場合))によります。
また、何か新しいことに挑戦したからと言っても、成功しない時もあるし、自分の思うようにならないこともあります。
そうすると、完璧を目指しすぎる人ほど、「だから、自分はダメなんだ」とか「だから、チャレンジしなければヨカッた」と、自分が挑戦したことを後悔したり「自己否定」に入ってしまうこともあります。
こういう人にこそ「あるがまま」や「自己受容」が必要なのです。
何かに挑戦すると、「成功」と「失敗」は、状況によりますが、五分五分なのかもしれません。
今回が失敗したからと言っても「そんな、自分自身が、今後もすべてにおいて失敗するわけではない」し、
これで自分自身が「ダメ人間である」と結論が出たわけでもないと思うのが「あるがままの現実」を受け入れることになるのです。
また、今回は思うような結果が出なかったけれども「今のままではダメなんだ」
と、自分の問題点が、今、チャレンジしたことで、分かっただけでも大成功なのです。
さらに失敗したから、経験値が上がったので「成功に近づいている」と思える自由な発想も必要なのです。
失敗することも、成功することも、楽しめるのが自己受容なのです。
「成功しない自分は、愛せない」と言うのは、自己受容ではなく、自己否定なのです。
人はサボる時もあるし、努力する時もある。
サボる時には、サボる自分も愛せるし、前向きになれない自分もあって良いと思うのが自己受容なのです。
だから、落ち込む時は「こんなに落ち込めるほど、私は、このことに一生懸命だったのだ」人生一回こっきり、こんなに落ち込めるほど、一生懸命になれる何かに、私は出会えたのだ!
と落ち込んでいる自分を楽しめるのが、究極の前向き思考なのです。
落ち込んでいる自分をも、楽しめる究極の前向き思考が、人生を楽しむ人なのです。
落ち込む時には、落ち込みを楽しみ、前向きになる時には、前向きな自分も楽しむのが、あるがままの自分の人生なのです。
自己受容とは、どんな自分の状態も受け入れて味わい、楽しみつくすことになるのです。