奇跡の隠れん坊(^O^)
2019/04/21
もちろん、気分が滅入る時もありますが…(笑)
雨が降る時には雨が降り、やがてセミが鳴く時にはセミが鳴く。僕たちはそれを、当たり前のように思っています。
めぐって来る季節は「優しい友からの便り」のようで…返事も返していないのに…君は約束を守ってくれる。
雨は静かに大地に降りそそぎ、すべての命にうるおし、暑い夏の準備を整えてくれる。
まるで、テーブルのセッティングを、目の前でしてくれる優しい執事のように…
雨は「感謝しろよ」と誰にも感謝を求めません。 陽の光も、好き嫌いなく、誰にもに、光のシャワーを与えてくれます。
風は、そっと肌に涼しさを届けてくれる。
この自然の優しい静けさは、インディアンの生き方に似ています。
インディアンの人々は、決して声高に知識をひけらかすことはありません。誰かに正しさを「教えてやる」という偉そうな態度もみられません。
彼らインディアンは、時に沈黙を好む。
それは彼らが沈黙の持つ雄弁さを知っているからです。
彼らは、毎日、太陽の色や風の動きで天候の変化を知り、雲の動きで季節の移ろいを確認します。
彼らは静かに自分を取り巻くすべての自然から生き方を学び、生きるすべを得ているのです。
彼らネイティブアメリカンは、自然のメッセージをないがしろにすることはありません。
街の中で暮らしていると、自然からのメッセージが届きにくいのです。
自然が与えてくれる、優しさへの見落としは、自分の中にある自然への無関心さにもつながっています。
私たちの内にある、たくさんの細胞は、「今」この瞬間にも、身体のバランスを守るために休むことなく活動してくれています。
そして、今日も呼吸と食事を取り込みながら、自分自身という、誰でもない「わたし」の体に組み立てらていくのです。
みんなと同じ空気を吸い、同じものを食べているのに…
その秩序だった完璧な動きこそが奇跡なのだと、彼らインディアンは言います。
何か一つでも、歯車が狂えば、僕たちは、一日たりとも生きてはいけないと…
「奇跡は特別なところにあるのじゃない。そうここにあるのさ…」と、インディアンの長老は、胸を指さして静かに笑った。
パワースポットに行かなくても…感じてごらん。
誰もが、その存在すべてがパワースポットなのだから。
僕達のまわりにはたくさんの奇跡が起きている。
季節が確実に繰り返される奇跡。
家族と出会えた奇跡。
愛する人に出会えた奇跡。
まだ、出逢えるべき人に出会っていない奇跡。
まだ、行ったことのない世界が、今も僕たちを待っているという奇跡 …(旅好きにはたまらない‼)
これからも、震えるような感動に出逢える可能性がある奇跡…
何より、これからも未来に、奇跡がいっぱい隠れているという奇跡。
あなたの身近にある奇跡は、いつも、あなたが気づいてくれることを静かに、ワクワクしながら待っています。
そうサプライズの時を今も静かに…人待ち顔で「君」を待ちながら。
あの角を曲ったところに、奇跡が待っているかもしれない…
明日の7月1日の朝4時40分に、東京地域はフジテレビで、二回目のテレビ寺子屋に僕が出てたりします。
どれだけ、たくさんの新しい出逢いがあるのだろう…不思議な出会いの奇跡が楽しみです。
ワクワク、ドキドキ