モノサシを捨てる。

      2019/04/21

 カウンセリングでは、なるべく自分のモノサシを捨てることが求められる。

 「こういうタイプは、このような人だ!」というモノサシです。

 学校に行かないのは、根性がないからだとか、真面目すぎるからウツになるのだ。

 離婚する人は、見る目がなかったのだ。

 このような事件を起こす人は、心が弱いのだと言う類の「モノサシ」です。

 僕たちの「常識のモノサシ」が間違うかもしれない。
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 暴走族に入って親を心配させたが「あの子が一番親思いの大人に育ったね」と大逆転もある。

 また、親の思ったようなエリート路線をばく進して、知識だけでは渡れない
社会に入って、ドロップアウトして精神に異常をきたした若者もたくさん知っている。

 誰もが「あの時に、人生で失敗したから、今があるのね…」という類のことは多くの人が経験しているはず。

 だから、僕の大好きな禅の先生は、神様にお願いする時は「請求書付きのお願いはするなよ」と教わりました。

 「ウチの子供を、あの学校に合格させて下さい」と請求して祈って、望む学校に合格しても、その学校でイジメに遭って、我が子が自殺でもしたら「あの学校に落ちれば良かったのに」となります。

 「僕は出世をしたいです」と願って、その願いが神様に聞き入れられ、出世をしたとしましょう。

 でも、幹部になったことで会社ぐるみの汚職に手を染めてしまってテレビで記者会見で謝ることになれば「平社員のほうが良かった」となるかもしれません。

 逆に、忘れ物を取りに帰って、事故に巻き込まれなかった、九死に一生を得ることも起こります。

 僕も両親の離婚や、育ての親の自殺がなければ、心理カウンセラーにはなってはいなかったのです。

 だから、何が正しいとか、何が間違いと単純に判定できないから、カウンセリングはカウンセラーが答えを出せない。

 だから、その禅の先生は「神様に下駄を預けるように祈りなさい」と…「どうか、すべては最後には良かったと思えますように!」と…これを神様にゲタを預ける、神ゲタ主義と呼びます。

 そうすると、不幸に見舞われても、今は最悪のように見えたとしても、これも、きっと振り返ると「あの事があったから…」と未来は、きっと笑っていますよねと…

 そうなのです、今、テレビで話題になっているオウム真理教の指名手配の容疑者も、オウム真理教で幹部をやっている時は、まさか人生で逃亡の身になるだろうとは、想像もつかなったはずなのです。

 彼らも、少し何かがズレていれば、幸せな生活が待っていたのかもしれません…

 彼らの写真がテレビで流れるたびに、人生の哀れを感じずには、いられない僕がいます。

 だから、あの人は弱かったのだと単純なモノサシで見れないのです。

 自分自身も国や時代が間違うと、戦争や人殺しをしてしまう、弱い存在になる可能性があるのだと、人間の弱さを思ってしまいます。

 だから、そんな状態ではない平和な社会に、普通の凡人として生きている、自分自身の日常に、感謝の気持ちがわいてくるのです。

 誰もが笑える世界が来ますように…やっぱり、これも請求書付きか…あせる
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