大人になるということ…
2019/04/21
でいながら、人間関係が上手くいかないと訴える。自分からは努力しないで周囲が悪い、親が悪い、職場が悪いと怒り出す。
自分から、新しい自分に変わろうとしないで、周囲を変えようとする。
幼い子供は、自分が上手くいかない時に「お母さんが悪い~」と怒りだす。
道で自分の不注意から転ろんでおいて
「ママが引っ張ってくれなかったから~」と泣き出す。
幼稚園の通園バスに乗り遅れても、魔法の国から猫バスが来て、自分だけは遅れないと信じています。
シェークスピアは「賢者は、いつまでも頭を抱えて悩んでいないで、新しく顔をあげて未来を歩き出す」と語っています。
そう猫バスは、いつまでたっても来ないから「自分が遅れたのだ」という現実を受け入れて自分で歩き出す。これが、大人の考えです。
そう賢者とは、心理的に自立した大人の人を呼びます。自分の失敗をいつまでも、頭を抱え込まないで、ウジウジしないで未来に向って歩き出す人です。
なぜなら、人生はこの瞬間も「今ここに」に、留まってはいないからです。「死」に向って時間は流れているのです。
人生が二度も三度もあれば、一度は失った時間をなげく人生や、去って行った恋人を裁く人生でもイイのでしょうが、この人生は一度だけなのです…
数年前に去って行った恋人の嫌がることをしている人がいます。
もちろん「この人だけを愛する」と、心に決めた人に去られることは、身を引き裂かれ、心が崩壊する思いでしょう。
でも、その相手がイヤな気分になるコト、自分に愛情を示さなくなった人を困らせるコトをするような暗い人のところには、恋人の心が戻るはずはないとは考えない。
人は失った損失、自分の失敗などを悲しんでいても、決して人生は好転しないからです。
そう、失恋も失業も、人生には起こり得るのです。
その失敗から自分のマイナス部分をクールに見つめ直し、その問題点から学びを得て、未来の人生に活かすのなら高い授業料ではありましたが、その失敗や挫折にも意味があったのでしょう。
でもただ、なげいているだけでは、人生は何も変わらないのです。
「自分のことを愛してくれない相手が悪い!」「自分を切った職場が許せない!」と執拗に誰かを攻撃するのが幼児性です。
ストーカーが、相手を傷つけるのも幼児性の心理からです。愛してくれないなら、せめて相手を攻撃してやる…そのうちに相手は自分の大切さに気づくに違いない。
幼児性とは、幻想と魔法の世界で生きている人のことをさします。現実を直視しない。
幼い子供は「もうすぐ休みが終わるのに宿題をやっていない。どうしよう~」とグズグズしています。
そう「自分が、やらなかった」という事実を受け入れない!
そして、幼児性の抜けない子供は頭を抱えてなげいているだけで、一向に宿題を始める気配がない。
なげいていれば、グズグズさえしていれば誰かが、何とかしてくれると思い込んでいる。
もちろん、頭では「それはオカシイ」と子供にも理解できても、幼児性が「非現実的な世界を信じている」
人は赤ちゃんの時に、泣けばオムツを替えてもらい、泣けば抱き上げてミルクを飲ませてくれた…まさに魔法の世界に生きていました。
だから、心理的に幼い子供は、バスに乗り遅れても、そこに座っていれば、自分だけは特別なことが起こると信じている。幼児性が抜けない子供は、宿題を自分がやるというアクションをしなくても、グズグズ悩んでいれば、何とかなるという幻想的な自己愛に満たさているのです。
世界は自分を中心に回っていると信じている。
子供ならば「可愛いね…」で許されます。
でも、大人になっても、その幻想から脱け出せない人が、カウンセリングの現場にも多々います。
上手い話にダマされる人がそうなのです。「これは、あなたにだけ持ってきた話です…」という甘い言葉にダマされてしまうのです。
このようなタイプは「自分にだけ特別なコトが起こり得る」と信じています。だから、「そんな甘い誘いに⁈
ウソのようなあり得ない話じゃない…」と周りから指摘されても、当の本人は、自分にだけ特別なこと、ラッキーなコトが起こり得ると不思議と信じています。だから、詐欺にコロっと引っかかってしまうのです。
そうして、この幻想から抜けない大人は「ダマした会社が悪い」「裏切った相手が悪い」と前に進まないで、いつまでも誰かを攻撃することになるのです。そう人生がカラッとしていないし、歩き出さない。
自分が簡単にダマされた背景には「自分だけは特別な人生が待っている」と「努力しなくても自分だけは特別なの」と、ナルシスト的な幼児性が隠されていたコトには気づこうとしません。
見たくないのです。自分の失敗を、自分がダマされた事実を…そこが、幼児性の特徴でもあるのですが…。
間違わないでください…もちろん、ダマした人達が悪いのです。それは、真実です。
ただ、カウンセリングで気づいてほしいのは、ステキな応接間に通されて、特別な接待を受けると、すぐに信じてしまう。そのダマされやすさの中に「自分だけは特別なのだ…努力しなくても成功するのだ」と幼児的な思い込みが、状況判断を狂わせて、単純な詐欺にダマされてしまう。
自分だけには努力をしなくても特別なことが起こるのだという考え自体が「自分は甘かったなぁ」と気づけば、その失敗は、次の事業や起業する時に学びとして生かされます。
僕はこう思っています。
自分にだけ特別にオイシイ話は来ないし、何か夢をつかみたいならば、それなりに汗をかき、努力をしないと何も得られないと…
もう一度言います…ダマされやすい人は幻想の中で生きています。
泣いていたら、悩んでいれば、いつか天の国の扉が開かれて、神の救いがあると…自分は努力をしないでも、特別に選ばれた人なのだ‼
やっぱり僕は考えます‼
神さまが存在するとするならば、人智を尽くし努力をした後で、救ってくれるコトがあるかもしれません。
でも、何も自分からは、努力しないでも、自分にだけは特別なコトが「起こるはず」は、大人ではない幼児性の現れです。
ですから、人間関係が好転したいのなら未来に笑顔のプレゼントをしませんか。日々、自分が変わる行動をしませ んか。
ひたいに汗もかいてみましょう。誰もがしている努力なら、自分もストレスに耐えてやりましょう。
なぜなら、人は誰もが苦しみに耐えながら笑っているのだから…自分だけ特別という幼児性から卒業することが大人になる強さなのだから。
赤ちゃんは誰かがミルクを飲ませ、抱き上げてくれなくては死んでしまいます。がしかし、大人は死なないのです。どんなにすべての世界の人に見放されても(これも難しい。普通に笑顔で生きていれば…)大人は生きてゆけるのです。
その淋しさに打ち勝って、孤独でも、哀しくても、生きてゆける強さが大人にはあるのです。
今はもう誰かに手を握ってもらえないと歩けない子供ではないのです。そして、前を見上げて未来を信じて歩き出す。
「さようなら自分の弱さ」もう私は子供ではない。
私は私、あなたは、あなた。私は私の人生をシッカリと生きて行きます。
このような心理学の「ゲシュタルトの祈り」を言える強さは、心理的に乳離れが出来た大人だけです。
まさに「君子の交わり、淡きこと水のごとし」
心が健康な、大人のふれあい人間関係は水のようにサラッとしている。
そこに愛情の中毒患者はいない。
もう一度僕は声高らかに宣言します。
大人はベタつかなくても、独りでも生きてゆける‼
だから、前を向け!
もちろん、人は人に傷つくけれど、人によって癒される。
だから、人に喜ばれることをしませんか。
イスを引いてあげませんか。
去って行った人の、新たな旅立ちを祝福しませんか。
苦しくても、一生懸命に自分の足で前向きに笑っている人に、天使は微笑むのだから…