今日の世界を抱きしめよう!!

      2019/04/21

 桜の花を見ると、日本人は色々な記憶を思い出すのではないでしょうか?

 子供たちにとっては、桜の木は、ただの一本の美しい木でしかないかもしれません。

 でも、年齢を重ねると一本の木を見ても、「桜の頃」という、想い出に対しての感動の深みが違いますね。

 まさに「年齢を重ねる」と言うのは、何かを見ても、ただ見るということではなく、その見ている対象にまつわる想い出という記憶なども重ねて見ていることにもなります。

 同じ景色を見ても、ただ見るという行為の先に、自分の記憶の奥にある想い出を重ねて見ているということになるのです。

 たとえば、僕は小学校の時に奈良へ遠足で行っています。でも、奈良はシカがたくさんいる、古い町でしかありませんでした。

 その当時はお弁当のこととか、好きな女の子が、何号車のバスに乗っているとか、隣の生徒と二列になって手をつないで歩く決まりなので、その好きな女の子が誰と手をつないでいて、その男の子がうらやましいとか・・・(どれだけませてる子供や!)

 そうなのです。奈良を見ていない。もちろん、今は奈良の良さも、昔よりは理解できるようになりました。

 でも、いつか年を重ねて、仕事の一線から退いて、時間に余裕ができたなら、また違った奈良を、僕は発見できるのでしょう。

 そう思うと年老いることも楽しみになりますね!

 ですから、何かを見るためには、心の成熟がいるのかもしれません。

 年を重ねた人が見る世界と、若い時に見る世界では、世界の深さが違うのだと思います。

 また、年齢を重ねなくても、世界の深さを見ている人たちがいます。

 戦争に反対して、政治犯として牢獄に入れられた若者が、処刑場まで歩く途中に見上げた、中庭にある桜の木の美しさは、浮かれて騒ぎながら、花見の宴で、酒をあおり酔いきった瞳で、見る桜の花とは、おそらく比べられないくらいの美しさがあるのではないでしょうか・・・

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 曇らない優しい瞳で見ることを、仏教では「正見」と言うそうです。

 今日で最後と思って、心をクリアにして、すべて見る心を大切にしたいですね。

 今日の子供は、二度と帰ってこない。

 今日の恋人は、二度と帰ってこない。

 今日の仕事や仲間は、二度と帰ってこない。

 今日の一日は、二度と帰ってこない。

 今日のあなたの手も、体も、呼吸も、二度と帰ってこない。今日の「あなた」は、また、明日の「あなた」ではない。

 今日の世界を、しっかりと抱きしめよう。

 世界は刻々と、今もほら、変わり続けているのだから・・・

 桜の花びらが、ハラハラと散りながら、僕たちに「今日をしっかり生きろ!!」と語っています。

 そして、花びらが、来年の花びらは、似ているけど、また私たちではないのだからと・・・

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 だから、今日を味わえと!!






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